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逡巡

「あれ、ミトちゃんやって。綺麗になったねえ」

 先輩にそう言われて、私は帰ってきとるんやって思った。

 今は亜米利加に住んでいると、誰かから聞いたことがある。昔から頭が良かったし、先生にも物怖じしないで話す子だったから、私とは住む世界が違う人だって思っていた。けれど、顔を見るのは何年ぶりだろう。

 ミトちゃんは座敷の隅に、皆から少し離れて正座していた。

 肩幅にぴったりの喪服は上品で色気がある。すらっと線が細くて、その上、姿勢よく背筋が伸びているから綺麗だった。どこか知的で、どこかミステリアス、そんな印象だ。

 ミトちゃんの近くでは、背中の曲がったお婆ちゃんとやせ細ったお爺ちゃんたち、五、六人が、重厚な欅(けやき)の座卓を囲んで座っていた。とくにお互いに話すわけではなく、ただじっと座っていて、その周りをまだ三、四歳くらいの子どもたちが走り回っていた。一丁前に黒いよそ行きを着せられた子どもたちは、座卓の上に置いてあるお茶菓子に手を伸ばし、近くにいた母親らしき女の人から小声で何か注意されている。

 今日の葬儀のことを聞かされたのは昨夜のことだった。夜遅くに社長から電話がかかってきて、明日は平山家の葬儀やからお前も来いと、それだけ言われて切れた。どうやら社長の古い知り合いらしかった。当然、私に拒否権なんてなかったけれど、戸惑いはあった。平山家はこの島に古くからある地主の家だ。そしてもちろん、私もよく知っている『お姉ちゃん』の家――。

 でも入ったことはない。

 ただでさえ他人の家に入るのは緊張するというのに、知り合いの家、それも私にとっては初めての自宅葬で緊張しないはずがなかった。先輩は「式場より気が楽や」と言っていたけれど、私は玄関をくぐる前からすでに足が重かった。

 初めて嗅ぐ家の匂い。

 黒い梁(はり)、立派な大黒柱、美しい襖(ふすま)。

 ここは天井が高くて、部屋が何部屋もある。

 その一室、親族控室とされた奥の部屋にミトちゃんはいた。

 薄暗い部屋の隅に遠慮するように座って、ミトちゃんは一人、スマホを眺めていた。

 スマホの光に照らされている横顔は見えない。

 少し俯(うつむ)いているから、斜めに揃った髪が頬にかかっていた。

 襟足が短いショートボブ――都会的で大人っぽい。

 でも私が知っているミトちゃんは、髪の長い女の子だった。

 いつも頭の後ろで一本に縛っていて、物怖じせずに誰にでもはきはきと喋る女の子だ。

 

「弱いもんイジメしたらいかんよ」

 ミトちゃんはそう言って、よく下級生の輪の中に立っていた。

 当時の私は小学校に入ったばかりで、ミトちゃんは高学年生。私はその私よりもずっと年上のお姉ちゃんのことを、いつも目で追いかけていた。

 当時、私が通っていた三小は、一学年に一クラス、全校生徒は百人もいないくらいの小さな学校だった。先生は校長先生、教頭先生、それから学級担任の先生が六人いて、あとは音楽の先生と保健室の先生、そして事務員さんの十一人。図工は校長先生が教えていた。これだけ小さな学校だと、もう全員が知り合いで、先生がどこに住んでいるだとか、誰の親だとか、みんな知っていた。お爺ちゃんお婆ちゃんまで含めると、本当にもうみんな誰かしらと知り合いで、誰々の息子とか、誰々の孫とか、そういう地域的な繋がりが強い学校だった。

 そういう、言ってみれば、大家族的な学校で、ミトちゃんはみんなのリーダーだった。

 当時のミトちゃんは体が大きかったし、足も速かった。勉強もできたし、よくみんなの前で表彰されていた。県の習字コンクールで金賞をもらっただとか、読書感想文コンクールで特選をもらっただとか、そういうことだ。これは都心部に住んでいる人にはわからない感覚かもしれないけれど、島の子どもが県から表彰されるというのは、全国放送のテレビ番組に出演するくらい凄いことだった。先生たちの中には、島にミトちゃんの名前を刻んだ石碑を立てようなんて冗談を言う先生もいたくらいだ。

 今思えば、地主の孫っていうのも当然あったと思うけれど、実際、先生や親たちからの信頼は厚かったと思うし、そういう大人たちの態度を見て、子どもである私たちも、ミトちゃんをみんなのリーダーだと思うようになるのはとても自然なことだったんだろうと思う。今の感覚で言えば、『推し』みたいなものだろうか。それまで見たこともない大きな船が急に港に入ってきて、その船にミトちゃんだけが乗りこんでいくような、そしてその誇らしげな後ろ姿を見て、私もああなりたいと自然と心に思うような、そういう特別な憧れをみんなに抱かせる女の子、それがミトちゃんだった。

 ミトちゃんには二つ下に弟がいた。

 弟はミトちゃんと対照的で、普段はあまり目立たない存在だった。でもよく泣く子で、虫を見るだけで泣き出したり、鬼ごっこで鬼になっただけで泣いたりもしていた。字がうまく書けなくても泣く、先生に注意されても泣く。些細なことですぐに泣く弟にみんな困っていた。弟は、ミトちゃんがいる時は、決まってミトちゃんの後ろに隠れた。弱虫というか、不器用というか、ミトちゃんがいないと何もできない、そういう印象だった。「ミトんちの弟、また泣きよった」と、よくからかわれていたから、周りから見てもそうだったんだろうと思う。

 一方で、私には二つ上に兄がいた。そして兄はミトちゃんの弟と仲良しだった。だから今思えば、ミトちゃんと話すようになるのは自然の流れだったんだろうと思う。私は兄についていって遊ぶ。ミトちゃんは弟についていって遊ぶ。でもミトちゃんの周りにはいつも誰かしらがいて、しかもそういう子らは大体ミトちゃんと同じくらいの年齢だったから、私はなかなか声をかけられずに、ミトちゃんの傍で、みんなが楽しそうに話しているのを羨ましく思って見ているしかできなかった。

 でもいつだったか、勇気を出して「ミトちゃん」と呼んだことがある。そうしたらミトちゃんは、私に振り向いてにっこりと笑ってくれた。それだけで充分だった。あまりに嬉しくて、その日は一日が過ぎるのがあっと言う間だった。そしてその日を境に、ミトちゃんの方から私に話しかけてくれるようになった。

 ミトちゃんとミトちゃんの弟と、私の兄と私。そこにミトちゃんの友だちと兄の友だちが加わって、遊ぶ時はだいたいこのメンバーだった。

 島で遊ぶところと言えば海があるのだけれど――もちろん中高生になれば、自転車で福江にあるシティモールに遠征なんてこともできるけれど、往復で二、三時間はかかる――私たちはよく海で遊んだ。海に入って泳いだり、砂浜で鬼ごっこをしたり、天気の良い日には桟橋やテトラポッドから釣り糸を垂らしたり、色々した。

 でもたまにテトラポッドで魚釣りをしていると、桟橋に戻れなくなることがあった。テトラと桟橋の間に、小学生の足では越えられない隙間ができていたりするのだ。それでも高学年の子らはひょいひょいと渡っていく。そして私だけが取り残される。そうすると決まって、ミトちゃんが先に渡って私に手を貸してくれた。「こっちに足かければ大丈夫やけん」とか言って、ぐっと引っ張り上げてくれるのだ。たとえみんながどこかに遊び行ってしまっても、ミトちゃんだけは残って私を待ってくれた。ミトちゃんにはその頃からそういう優しさというか、頼もしさがあった。

 それは磯遊びをしていてもそうだった。

 私らとは違うグループの子が一人で遊んでいたりすると、ミトちゃんは必ず仲間に引き入れた。そして一緒にカニや小魚を獲って遊んだ。

「誰かが一人でおったら、一緒に遊ぼうって声かけてやりよ」

 ミトちゃんはそう言って笑っていた。けれど、私にはできなかった。私は人見知りの強い子だったし、自分から誰かに声をかける度胸もなかった。そもそも私はみんなの輪の中にいるだけで満足する子どもだったから、みんなと一緒になって探検して、どきどきして、笑う、それが楽しかったんだと思う。だから余計に、私の中のミトちゃんに対する憧れは強くなっていったし、そんなミトちゃんと一緒にいれることが嬉しかった。

 私たちはいつも日が暮れるまで遊んだ。

 海を見下ろせる草原を駆け回ったり、漁港でぼうっと船を眺めたり、時には農道でかくれんぼをしたりした。「つぎはおねえちゃんがおにね」、なんて言って私が茂みに隠れると、ミトちゃんは必ず一番最後に私を見つけた。そして私が鬼の時は、一番最初に見つかってくれた。私がもう少し大きくなって、大人の自転車に乗れるようになると、日が暮れるまで島内を自転車で走り回った。お盆の時にはチャンココの音を頼りに町内を走り回った。空が高く澄んでくる頃には、草原で凧揚げを楽しんだりもした。私はミトちゃんのことが大好きだったし、ミトちゃんもそうだと思っていた。私たちは本当の姉妹のようにいつも一緒に遊んでいたのだ。

 

 

 ミトちゃんの家はクリスチャンだった。といっても、島でクリスチャンの家は珍しくない。学校でも習う話で、この島に移り住んだ人々の多くは潜伏キリシタンの末裔だ。明治の初めにはひどい弾圧もあったようだけれど、今は仏教の家もキリスト教の家も、同じ集落に静かに根を張って暮らしている。特に私がいた三井楽は潜伏キリシタンの歴史が深くて、山の上にはのちにステンドグラスで有名になる教会もあった。

 ミトちゃんの家族はその山の上の教会に通っていた。

 週末になると、ミトちゃんのお父さんが運転する車で山を上っていくのだ。山への道は海沿いの道と分かれ道になっていて、私が浜辺で遊んでいたりすると、よくミサ帰りのミトちゃん家族を見かけた。そんな時、私が「ミトちゃあん!」なんて呼ぶと、ミトちゃんは車の後部座席から窓を開けて、笑顔で手を振ってくれた。子ども同士はお互いの宗教なんて気にしない。クラスに二、三人はクリスチャンの家の子どもがいたし、お盆には一緒にチャンココを追いかけ、クリスマスには教会に行く友だちを見送った。それが当たり前の光景だった。

 それがいつからか、ミトちゃん家族の車をぱったりと見なくなった。

 友だちは車が壊れたんじゃないかと言っていた。けれど、私はそう思わなかった。なぜならミトちゃんのお父さんは自動車の整備工だったからだ。肌が真っ黒に焼けていて、いつも汗だくで作業していて、ぶっきらぼうであまり笑わない人だったけれど、私が「ミトちゃんのお父さん!」と手を振ると、必ず油まみれの黒い手を振り返してくれた。そんな人が自分の車を直せないはずがない。

 じゃあ土曜日も仕事を頼まれたんじゃないか、週末は家で寝ていたいんじゃないか、私たちは色々と知恵を出し合って考えた。でもどれもしっくりこなかった。そして結局は、神様に会いに行くのに飽きたんじゃないかという結論に達した。毎週だったらそうなる、私だったら絶対飽きる、と私たちはそう考えた。つまり、飽きが終わればまた車を見るようになる、私たちはそう思っていたのだ。

 でもちょうどその頃から、ミトちゃんは海に来なくなった。

 みんなはミトちゃんが中学に上がったから勉強で忙しいんだろうと話していた。私もそう思っていたし、大人になるにつれて小さい子と遊ばなくなるのは、従姉妹(いとこ)を見てなんとなく知っていたから、ミトちゃんと遊べなくなる寂しさはあったけれど、そういうものだと思っていた。いつものメンバーにミトちゃんの姿はなかったけれど、ミトちゃんの弟はいたから、会いたくなったらいつでも呼んでもらえると安心していたのだ。

 その頃の私は日が暮れるまで海で遊んでいた。海でみんなと遊んでいると、時間はあっという間に過ぎていく。みんな夢中になって動いているから日が落ちてきてもまったく気にしていなくて、家に帰るのはいつも山の上のスピーカーから音楽が流れてからだった。

 でもその日は、音楽が鳴っても、ミトちゃんの弟はしばらく動かなかった。

 弟は、ぼうっと黙ったまま、山の上の方を見上げていた。

 みんなが帰るよと言っても、弟はどういうわけか動こうとしなかった。

 そのうちに一人、また一人と帰っていって、弟とその友だちだけが残った。

 夕暮れ時に、海鳥の鳴き声が響いていた。

 その時の弟の顔はまだ覚えている。今にも泣き出しそうに眉と口をくしゃっと潰した表情と、それを一生懸命に堪えて眉間にぐっと力を込めた表情、その両方が交互に現れていた。弟の友だちが帰ろうと肩を叩いても、弟は首を振って頑として帰ろうとしなかった。弟がどうして家に帰りたがらなかったのか、当時の私にはもちろん分からなかった。けれどなんとなく、なにか悪いことをしてしまって、親に叱られるのが嫌なんだろうと思った。でも今あらためて思い返すと、この時からすでに始まっていたんだと思う。

 

 

 その年はたしか、市町村合併によって島全体が五島市になった年で、当時、私がいた三井楽も五島市に変わった。その時の私は小学三年生。学校生活にも慣れて、交友関係が広がっていく年頃だ。だからその頃にはもう兄について遊ぶことはなくなって、ミトちゃんともすっかり遊ばなくなっていた。

 その年の台風は長かった。いつもなら一晩もすれば通り過ぎて、翌朝には何事もなかったように青空が戻る。でもその年は三日間、家から出られなかった。家に閉じ込められた人間がすることと言えば、テレビを見るか、話すかしかない。だから余計に噂は育った。

「ミトちゃんのお母さん、ピアノ教室やめたんやって」

 みんなでご飯を食べていたら、お母さんが言った。

 ミトちゃんのお母さんは、離れ家でピアノを教えていた。午後になると、いつも石垣の向こうから綺麗なピアノの音が聞こえてくる、この辺では有名なピアノ教室だった。私は行ったことはなかったけれど、私の友だちは何人か通っていた。友だちは口を揃えて、地味やけど優しい先生と言っていた。

 この「地味やけど」というのは妙に的を射ている。私もそうだったけれど、子どもの頃というのは、ピアノの先生に対して華やかなイメージを持ちがちだ。でもミトちゃんのお母さんはそうではない。ベージュ系の服が多くて、普段、化粧をしているところを見たことがなかった。いつも眼鏡をかけていて、アクセサリーの類はいっさい身に付けない。そして何より話し声が小さかった。一見すると冗談が通じなさそうで怖い、『だけど』、優しいのだ。

「なんね、韓流いうもんに、はまっとるげなよ」

 婆ちゃんが言った。

「ぺ、なんちゃらって、なんやったけねえ、ほら、有名なやつ」

「ぺ、やなかろうもん、パクやろうが。パク、パク……。なんやったっけな」

 みんなの笑い声を聞きながら、私はどうしてやめちゃったんだろうと、もったいなく感じていた。

 

 そんなことがあってから、少し経った頃のことだ。母が市役所に用事があるというので、一緒に福江に連れていってもらえることになった。福江に出るのは滅多にないことで、私は楽しみで仕方なかった。福江は島の中心地だ。港、コンビニ、シティモール、なんでもある。市役所で用事を済ませた後、私はシティモールで母の買い物に付き合い、ゲームセンターで遊んだ。その時に母に取ってもらった可愛いクマのぬいぐるみは、今でも大切に持っている。私はそのぬいぐるみが欲しくてたまらなかったから、それがクレーンから落ちずに運ばれてきた時は飛び跳ねて喜んだ。いつも怒ってばかりの母だったが、この時ばかりは神様のように崇めて感謝したのを覚えている。でも今思い出すのは、その帰りに寄った福江港でのことだ。

 福江港ターミナルにはたくさんの人がいた。大きなボストンバッグを抱えた男の人。スーツ姿のビジネスマン。子どもの手を引く母親。売店を歩いていたり、待合の椅子に座っていたり、みんな普段と違って見えた。そんな中、一人だけ窓の外を見つめて立っている女の人が目に留まった。ミトちゃんのお母さんだった。いつもと違う濃い目の化粧をして、綺麗な余所行きの服を着ていた。どこへ行くんだろうと見ていたら、母にぐいと手を引かれた。見ちゃダメ、と母は言った。窓の外には藍色の海が広がっていた。小さな波が寄せては返し、海面には海藻がたゆたっていた。あの時、なんとなく見てはいけないものを見てしまったように感じたのは、母の手の強さのせいかもしれない。

 

 私が四年生になると、ミトちゃんちの噂はますます大きくなっていった。

 ミトちゃんのお父さんは毎晩外を飲み歩いているらしいとか、ミトちゃんのお婆ちゃんは入院したらしいとか、噂されるのは地主の家の宿命だと言われたらそれまでだけど、みんな好き勝手に噂していた。

「あん人は平山家に入ったとたい」

「おるとこば、なかとやろうもん」

「あそこん母ちゃん、近頃ようすのおかしかよ」

「家事もせんで、韓流、韓流ゆうて、毎週本土に遊びに行きよると」

「子どもらがかわいそうでならんね」

 みんながミトちゃんちのことを話していた。

 誰も家事をしないから、代わりにミトちゃんが家のことを全部ひとりでやっているらしいとも聞いた。私は、ミトちゃんなら全部一人でやってしまうだろうと思っていた。ミトちゃんにとって、そんなことは楽勝でへっちゃらなことだと思っていたのだ。

 でもそんなある日、お母さんとスーパーで買い物をしていたら、スーパーの駐車場で久しぶりにミトちゃんを見かけた。

 ミトちゃんは両手にぱんぱんのビニル袋を持っていた。ミトちゃんの弟も両手に袋を持っていて、駐車場を急ぐように歩いていた。二人が向かう先には錆びついた軽トラックが止まっていた。お爺ちゃんの軽トラックだろう、荷台には農具や肥料袋が積まれていた。

「ミトちゃん?」

 私が言うと、ミトちゃんは私に気が付いて足を止めた。

 けれどすぐに目を逸らすと、

「行くよ」と、弟を急かした。

 ミトちゃんは少しやつれていて、表情も硬かった。私が知っているミトちゃんではなかったし、なんだか元気がなかった。忙しそうで、余裕がなさそうで、でもそれがどういうことか、私には分からなくて、私はトラックに乗り込むミトちゃんをただ遠くから見ているしかできなかった。

 

 

 ミトちゃんと話したのはそれが最後だった。

 私が中学に上がると、私は自分のことで忙しくなって、高校に進学したミトちゃんのことなんて考えることもなくなっていた。私が中一の頃は、ミトちゃんの弟も三年生にいたけれど、弟は中学校の問題児になっていて、兄から聞いてはいたけれど、学校には来ていない様子だった。

 その頃にはもう、ミトちゃんの家族は教会にも来ていなかったようで、誰もミトちゃんちの噂をしなくなっていた。私もたまにミトちゃんが制服姿で急いで自転車を漕ぐ姿を見るくらいで、見かけても声をかけることはしなかった。忙しそうだな、大変そうだなと思いはしたものの、お互いに話すこともなくなっていた。

 私が中学の三年になると、風の噂でミトちゃんが渡米したと聞いた。

 私は、きっともう帰って来ないんだろうなと思った。

 高校を卒業した島の若者には、島を出るか、島に残るか、の二択しかない。大抵は島に残る。残って就職したり、家業を継いだりする。大学進学には経済的な負担が大きいからだ。でもミトちゃんは島を出た。しかも外国に――。

 知り合いの中には、ミトちゃんは島を捨てたって言う人もいた。

 あの家から逃げたんだって言う人もいた。

 もう十年以上も前のことだ。こんなこと、もう向こうも覚えていないだろう。

 

 縁側に沿った一番奥の部屋に、真っ白い祭壇が見える。祭壇には十字架やマリア像、白百合が飾られ、祭壇の前には白い棺が置かれていた。

 ミトちゃんのお父さんは、夜、いつものようにふらふらっと出て行って、そのまま帰らなかったそうだ。急性肝不全、と先輩は話していた。

 部屋の隅には回り灯篭が置いてあった。先輩の話では、あの灯篭は曾祖父の葬儀の時から使っているらしい。教会の人は何も言わないけれど、この家ではあれを出すそうだ。あの家は昔からちょっと混ざっとるって、社長も言っていた。そう言われてみればたしかに、数珠(じゅず)を持つ男の横で、ロザリオを握り締める老人がいる。座敷には頭に白や黒のベールを被った老婆らの姿もあった。今どきあんな風にマンティラを纏(まと)う人は少ないけれど、この家の親戚にはまだいるようだ。

 今思えば、そういうことも関係があったのかもしれない。

 みんながあの家は壊れてしまったって噂していたけれど、もしかしたら、もともとそういう家だったのかもしれない。

 真相は誰にも分からない。でもミトちゃんが島を出たって聞いた時の私は、そんなこと、考えもしなかった。

 男性たちは胡坐(あぐら)をかいて俯き、女性たちはひそひそ声で話していた。

 女の人がお茶の急須を持って忙しそうに台所と座敷を行き来していた。そのたびに、場違いなほどに甘い白百合の匂いが鼻を掠めた。

 ミトちゃんの弟は葬儀の準備で忙しそうに動いていた。子どもの頃、あんなに泣き虫だったとは思えないくらい、静かな顔をしていた。

 そしてミトちゃんは、あの時と同じ顔をしていた。

 表情が硬くて、なんだか元気がなくて、なにかを必死に我慢している顔――。

 子どもの頃は、ミトちゃんは何でもできるスーパーウーマンだと思っていた。けれど実際は、ミトがやってくれるからって、周りがミトちゃんに面倒な雑務を押し付けていただけだと聞いた。それでもミトちゃんは嫌な顔一つせずに「いいよ」と引き受ける。そして結局全部一人でやってしまう。

 今思えば、ミトちゃんはあの頃からずっと大人だったんだと思う。ずっと、大人を演じてきたんだと思う。

 ミトちゃん。

 そう呼びかけようとして、喉の奥で言葉が詰まった。

 あの頃は「ミトちゃん」と呼べたのに、今はなんて呼べばいいか分からない。

 大人っぽいショートボブの髪が横顔を隠している。

 少し痩せた頬。

 白い指先。

 誰かが一人でおったら声かけてやりよ――ふと、思い出す。

 でもなんだろう。大人になると、色々なものが邪魔をする。経験や記憶が知った気にさせる。

 ミトちゃんは一人俯いて、スマホを眺めていた。

 あの頃はなかった。

 そのせいか、今はいっそう遠く見える。

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