
ツァラトゥストラは夜明けを知らない
今日の会議終わりに「すごいですねえ!」と声をかけられた。
振り返ると若い女性が立っていた。明るい短髪。控えめな化粧。目元に小さなほくろがある。彼女が誰に言っているのか一瞬わからなかったが、どうやら私に言っているようだった。何に対して「すごいですね」と言っているのかよくわからなかったから、私は立ち止まって彼女を見つめた。そうしたら彼女は、不可解な笑顔を残して去っていった。彼女が何をしたかったのか、私にはわからない。そもそも彼女が誰なのか、私は名前すら知らない。
なぜ急にそんなことを思い出したかというと、隣によくわからない男が座ってきたからだ。
仕事終わりの通勤電車。時刻は夜の九時を回り、車内は空席が目立つ。たしかに私の隣は空いていたが、空席なら他にもたくさんある。扉付近の優先席は空いていたし、前の七人掛けの長椅子には両端に一人ずつ座っているだけだった。真ん中はなんなら横になれるくらい広いスペースが空いている。
それなのに、彼はなぜ私の隣に座ったのか。
パーマがかったくせ髪。眼鏡とネクタイ。彼はイヤホンで両耳を塞ぎ、手元のスマホをじっと見つめながら、時折、クククと笑いをこらえていた。
これだけ空席がある状況で、なにもわざわざ私の隣に座らなくても良さそうなものだが、彼がクククと笑うたびにその肩が私の肩に触れた。私が女だからわざと隣に座ったんじゃないかと思ったし、仮にそうでなかったとしても、仕事で疲れ切っているのに、数分置きに肩に触れられたんじゃ溜まったもんじゃなかった。
「ごめんなさい。肩、当たってますよ」
私は彼に言った。でも彼はスマホの動画から顔を上げようとしなかった。イヤホンをしていたから聞こえなかったのかなとも思ったが、私が声をかけた時、彼の目が一度だけ泳いだ。あえて聞こえないふりを選んだのだろうと思った。
仕方がないから席を立った。そして扉の前に移動して、窓の外を見た。
真っ黒い窓の外を、赤い警告灯が過ぎていく。
その窓に、平静を装った自分が映っていた。グレーのスーツ。ベージュのチェスターコート。目の下のくま。口元のマリオネットライン。年相応の顔になってきた自分に、思わずため息が漏れた。
昨年末、私は多額の借金とともに職を失った。それまで約十二年間続けてきた飲食事業は、コロナの影響で客足が遠のき、経営が悪化。会社は事実上、破産した。私に残ったのは、ほんのわずかな矜持と約三千万円の借金だった。
知り合いはみんな、いなくなった。創業時から私を信じてついてきてくれた十二名の社員たち、アルバイトの子たち、取引先、同業者、みんな蜜の枯れた花から離れる蜂のように離れていった。ピーク時の月商は一千万を超えていた。四店舗目の出店を話し合っていた時期だった。それなのに、コロナが全部奪っていった。
にっくきコロナめ。お前さえいなければ――、と恨みつらみを話すことならいくらでもできるが、私だけが被害者なわけではないことは重々承知している。たくさんの人が色々なものを奪われた。結果、世界中の人々の人生が狂わされた。私の場合、去年までは会社の代表取締役、今年からは商社で働く平社員。生き延びただけ幸運だったと思うべきか……。
窓に映った自分が嘲笑を漏らす。
反射越しに先ほどの彼に目をやると、彼は私がいたシートの端に移動して、相変わらずクククと笑いをこらえていた。
笑うしかない。
彼は私から席を勝ち取ったと思っているかもしれないが、私が譲ってやったことはぜひ覚えていてほしい。
そう言えば、先週もこんなことがあった。
私がサンプルとして取り寄せた輸入食品を冷蔵庫に入れておいたら、次の日、冷蔵庫からそれが綺麗さっぱりなくなっていた。「サンプル・試食用」とメモは貼っておいた。誰も食べないだろうと思いつつ、もしもの時の保険として貼っておいたものだ。ところがそのメモさえ残っていない。不思議に思って近くにいる人に聞いたら、昨夜、皆で食べたと言っていた。私が「メモがあったでしょ?」と言うと、「差し入れかと思った」と悪びれもなく言った。呆れた。「試食用」を「皆へのプレゼント」と読み替える人がいるのかと驚いたし、それ以上何も言えなかった。最悪だったのは、その後の上司の対応だ。私が上司にこんなことがあったと相談すると、彼は「また取り寄せて」と取り合ってくれなかったのだ。彼らが、新入りである私について、陰で「偉そう」だとか「何様」だとか悪口を言っているのは知っている。それはべつにいい。でも海外からサンプルを取り寄せるのは、気軽に「また」取り寄せられるほど簡単なことではない。
何かをしてしまっても謝れない人は思っている以上にたくさんいる。何かをしてもらってもお礼が言えない人も同じだ。こちらが挨拶をしても挨拶をしない人。せっかく人が綺麗にしたものを平気で汚す人。世の中には当たり前のことが当たり前にできない人間が腐るほどいる。
彼らに共通するのは、想像力の欠如だ。自分がこれをしたら周りはどう思うだろうか、それがまず彼らの頭にない。自分は正しい、自分さえよければいい、そう考えているから、平気で肩を当ててくるし、嫌悪をぶつけてくる。最初に話した馴れ馴れしい女も同じだ。人との適切な距離感が分かっていない。自分らしさを誤解して初対面からため口で話しかけてくる人も、下の名前で呼んでくる人もみんな、まず自分が先にあって、相手は二の次、三の次だ。だから無自覚に自分の世界を押し付けてくる。独り善がりな言動を繰り返す。たちが悪いのは、無自覚な言動をとるくせに、注意されると、まるで注意したこちらが悪者かのように居心地の悪さを抱かせる点だ。そんなことをされるくらいなら、まだ本心を口にしてくれた方がましだ。そうしてくれれば、こちらもそういう人間なのだと諦めがつく。
先日、こんな本を読んだ。
『ツァラトゥストラはかく語りき』――ドイツの哲学者、フリードリヒ・ニーチェの主著だ。
一般的にニーチェの本は難解だと言われている。その理由の一つに、曖昧な比喩表現を多用しているからというのがある。私も読んでいて何度もつまずいた。彼は抽象的な概念同士を結び付けて話す。たとえば「精神」が尋ねたり、「からだ」が自分を洗ったり。彼はその比喩の持つ普遍的なイメージを前提に話を進めるから、それが共有できていないと、彼の言わんとする物事の本質を理解するのは難しい。たとえば「魚」や「ライオン」が何を指すのか、「太陽」や「夜」が何を暗喩しているのか、「君」とは誰か、「彼ら」とは誰か、少なくとも彼が生きていた時代の文化的、時代的な背景を知らないと、すぐに迷子になる。その上、彼は言葉で遊ぶ。わざとごちゃごちゃに言葉を混ぜているんじゃないかって疑うくらい、彼は私たちの頭の中にある良い悪いをかき混ぜる。言葉遊びの達人と言ってもいい。彼の文章にはユーモアと皮肉が満ち溢れている。
そんな難解なニーチェのツァラトゥストラを読んで、私が受け取ったメッセージは、概ね、次のようなものだ。
つまり、世間一般で良しとされている既存の価値観や道徳、それらに妄信的に従っている人に対して、もっと自分の中に価値を持ちなさい、そして怖がらずに新しい価値を創造しなさいと、彼は言っているのではないか。
受動ではなく、能動。
無欲ではなく、意欲。
退化ではなく、進化。
そういったものを、病ではなく、健康で、机上の空論ではなく、地に足をつけた議論で、正々堂々とみずからの力をもって勝ち取りに行く。周りではなく自分の中の価値を信じ、時には非情に、時には寛容に、臆せず、勇敢に、絶えず新しい価値を創造し続ける。自分を卑下せず、権力に媚びず、自由に、本能のままに。そうやってたどり着いたその先に待っているのは、虚無ではなく喜びであり、絶望ではなく希望なのだよと、そう言っているように聞こえる。
少し似ているなと思った。
彼は誠実であることに価値を見出しているし、周囲と違うことに少なからず戸惑いを感じている。なにより彼自身が非常に孤独だったんだろうな思えるところが特にそう思った。その証拠に、彼はよく踊る。とにかく踊る。ダンスなら一人でも踊れる。もしかしたら、踊ることが彼にとって日々の寂しさや煩いを忘れる唯一の手段だったんじゃないかって、そんな風に考えてしまう。つまるところ、彼はただの「非モテ」だったんじゃなかろうか。
実際、彼は「生」をあるべき姿として肯定しているが、その「生」を女性で表現している。生き生きと活力に満ち溢れていて、素直で、ポジティブで、ウィットに富んだ女性だ。一方で彼は「女はもっとも危険なおもちゃだ」とも言っている。このあたりが、私が「彼は非モテだ」と思う理由だ。理想が高くて強がっているくせに、女性に対する敬意がまるでない。今の時代、「女は男に服従せよ」なんて言ったら即アウトだ。
もちろん、あの時代特有の男尊女卑的思考をニーチェが持っていた可能性は否定しない。でも仮にそうだとしても、女心をちゃんと理解できない男に惹かれる女なんて今も昔もいないだろうと思う。そういう意味では、彼の言っている「新しい価値の創造」は成功したのかもしれない。そして女性のことを心から見下していた彼もまた、彼の毛嫌いする大衆の作り出した価値観から抜け出せずにいたのだろうと思う。
ただ、彼の凄いところは、どんなに非モテで、どんなに孤独であっても、それを乗り越えていく意思を捨てなかったことだ。
ニーチェは強いものが偉い、それが自然だと考える人だ。強いものとは、単に力が強いもののことではない。他者の評価を必要とせず、窮地をものともせず、むしろそれを乗り越えてやろうと、自ら価値を創造し、成長し続ける強い意思の持ち主のことだ――彼はそれを『超人』と呼んだ。他人どうこうじゃない、とにかくやれ! まずやってみろ! と――。
私はこれに強く共感する。
あの人はカネを持っているからがめつい、あの人だけ評価されるのはずるい。あの人は偉そう、あの人はイエスマンだ。そうやって他者を否定することでしか自分を保てない人間は弱いものだ。我慢している自分たちこそ救われるべき存在だと声高に唱え、平等や同情を過剰に持ち上げる人間は弱いものだ。彼らは単に無能なだけ。突出した存在になれないだけ。自分一人の力では現状を打破できないだけの『末人』だ。
ニーチェは、そういう人間に足を引っ張られてはいけない、そういう人間たちのことで頭をいっぱいにしてはいけないと説く。
苦しみには力への意思で対抗しなさい。
ぶつかって喧嘩して戦って乗り越えていきなさい。
決して腐るな。
決して諦めるな。
自分の中にいる怪物を救い出し、自分の中の矛盾を解きほぐし、己を超えていけ。
誰かのために英雄になろうとするな、自分のために超人となれ!
もし現代にニーチェが生きていたら、きっとこのまま会いに行っていただろうと思う。そしてこう問うのだ。「ニーチェさん、今のこの世界を見てください。あなたの言う『末人』だらけの世界で、私はどうやって『超人』を目指していけばいいのですか?」――と。
車内に目をやれば、スマホでゲームをする男がいる。
膝の上にクリアファイルを広げて、推し活に熱中する女がいた。
彼らは誰かが作った娯楽の中で、ものを消費し、感情を消費する。やれ新しいアニメだ、やれ新しい漫画だと、いい大人が資本主義の奴隷に成り下がっている。そうやって誰かが作った仕組みの中で、自分自身さえも消費していても、彼らは気付かない。なぜなら消費は何も残さないし、残らない。そうしている間は幸せに感じるかもしれないが、辛い現実はなくならない。明日になればまた同じ日が始まり、強い人間に媚を売り、同類に愚痴を吐き、自分よりも弱い人間に毒をばら撒く。自分から改善の提案をするわけでもなく、誰かが変えてくれるのをひたすらに待つ。まるで、飼い慣らされた家畜だ。
そういう人間が増えた結果、この国は劣化した。
SNSが、そして多様性とかいう変な価値観が、この国を堕落させた。
どうせやっても意味ないよ。なに頑張ってんの? 楽に生きようぜ、今を楽しもうぜ。
ああ、腐ってる。
言うことを聞かない同僚。
理不尽な要求を繰り返す上司。
借金のことを知った途端に距離を置いた知人……。
ああ、使えない。なんて使えない人間なんだ。
そういう人間は、なにかをしている振りが非常にうまい。仕事をしている振り。忙しい振り。同情している振り。尊敬している振り。
そういう人間は、誰かが窮地に陥った時、真っ先にそこからいなくなる。手を差し伸べるのではなく、身を隠す。
そういう人間は、大抵の場合、無能であることに無自覚、あるいは無能であることを正当化しようとする。そしてそうした人間からは、これをやってみたい、これを試してみたい、そういう積極性は見えてこない。
あなたはなにをしたいのですか? わかりません。
あなたはなにをしたくないのですか? それもわかりません。
彼らに共通しているのは、主体性の欠如だ。
みんなやってるから。
そういう流れだったから。
上からそう言われたから。
責任を回避し、他者に依存し、それでいていつもなにかに不満で、いつもなにかに怯えている。
ああ、心底、うんざりする。
そんな人間ばかりの国のどこに、希望なんてあるのだろうか?
みんな一緒でみんな良いが根付いた愚民の国は、みんな平等に貧しくなっていく。
ああ、なんて愚かなんだ。
たしかに私は競争に負けた。
でも私は彼らとは違う。
私は大衆と群れるつもりはない。パンとサーカスに興味はない。
私には目指すべき人がいる。
窓の外を街の明かりが過ぎていく。
廃れた駐車場。ラーメン屋の看板。歯医者の広告、コンビニの明かり。
都心から離れた郊外の明かりがやってきては去っていった。
見慣れた景色――。家は近い。
会社が倒産した時、夫は「お疲れ様。まずはゆっくり休んで」と言ってくれた。それまでの私は、会社の立ち上げから店舗の出店、そして宣伝と経営と、がむしゃらに走ってきた。経営が軌道に乗り始めてからは少しだけ日々の生活にゆとりもできたが、基本的には家と事務所の往復だった。そんな時に出会ったのが彼だった。彼はうちの店に来る常連客の一人だった。何度も顔を合わせ、話をしているうちに、彼の穏やかな性格だったり、知的な部分だったり、ユーモアのセンスだったり、彼のそういう相手を思いやる言動に惹かれて、この人とだったら一緒になってもいいなと思うようになった。
夫は私の大変さを傍で見てきた。仕事一筋で頑張ってきた私をよく知っている。だからこそ、「ゆっくり休んで」という言葉には、私への労いと優しさを感じた。子どもができてからも、彼は育児に協力的だった。夫は積極的に家事をこなしてくれたし、丸くんと遊んでくれた。私は保育園のママ友文化が嫌いだったから、園の送り迎えはもちろん、保護者会や行事にも夫が代わりに出てくれた。家事も育児もしてくれて、文句一つ口にしない。たしかに掃除が下手だったり、洗濯物の畳み方が雑だったり、細かい不満はあるけれど、私にとっては家のことを全部やってくれる完璧な夫だ。
先日は夫婦二人だけで結婚記念日のお祝いをした。今年は都心の夜景が一望できる会員制のフレンチレストランを予約して、そこで私たちは久しぶりに話をした。仕事や育児の重圧から解放されて、私たちは出会った頃のように、今日こんなことがあった、こんな人に会ったって話をした。職場の話や、共通の知人の話、丸くんの話、どれも何てことのない会話だったが、楽しい時間だった。五年も一緒に暮らしていたら、お互いを知り尽くしたように感じてしまうものだが、実は彼が甘党だったり、ホラーが苦手だったり、そういう発見があって面白かったし、そういうところも含めて、あらためて可愛いなって思った。
会計の時に、彼の手首に金の腕時計がちらっと見えたから、「それ、懐かしいね」と私が言うと、彼は「そうだね」と恥ずかしそうに時計の位置を直していた。その時計は、私が彼と結婚した時に彼に贈ったものだ。だからそれを彼が今でも大切に使ってくれていることが私は嬉しかった。帰りの電車で私が「今日、楽しかったね」と言うと、彼は「うん」と吊り革を持ったまま、窓の外を見つめていた。楽しくなかったのかなとも思ったが、きっと丸くんのこととか、借金のこととか、これからのことを考えていたんだろうと思った。
夫はニーチェ的に言えば、強いものだ。世間的には、うちの家は夫婦の役割が逆転している。妻が稼いで、夫が家を守る。厳密に言えば、彼も働いているからうちは共働きになるが、家事や育児を夫が担っているという面では、不思議に映るだろう。でも彼はまったく気にしない。俺がやりたいからやっているだけだと、そういう批判的な世間の声を主体的に乗り越えていく。彼の口から愚痴や文句を聞いたことはないし、決して他人を貶めない。
ただ、少し物足りない。彼は誠実だ。家族のことを第一に考えてくれているし、飲み会で帰りが遅くなることも、急に友達と旅行に行くこともない。今は二人で借金を返そうと頑張っているから当然だが、これまでも家のお金を浪費したことはなかったし、男の人が好きであろう車やバイクなどの散財する趣味もない。彼にかぎっては、浮気の心配も皆無だ。息子の面倒を見てくれて、帰ったらご飯も用意されていて、一般的には羨ましがられるほど文句のつけようのない出来た夫だが、なにか物足りない。真面目すぎるというか、誠実すぎるというか、一緒にいて退屈なのだ。
窓の外を踏切が過ぎていく。
カンカンカンと、踏切の音は遠ざかり、外の景色はゆっくりと減速していった。
車内アナウンスが流れ、ホームが見えてくると、車内にいた何人かが立ち上がり、私は扉の前でバッグを握った。
扉が開くと同時にホームに足を出す。
そのまま駆け足でエスカレーターを上がり、改札を通り抜けた。そして、家路を急ぎながら考えた。
私の今いる会社に九鬼清志郎という人がいる。
九鬼さんは、私が飲食会社の代表取締役をしていた時の仕入れ先の営業担当だった。
当時の私たちは、トマト缶の仕入れ先を変更しようと模索しているところで、そんな時に知人の紹介で出会ったのが九鬼さんだった。私たちはなんとか価格を抑えられないかと様々な仕入れ先を検討していて、彼にそう伝えたところ、彼は値引きは難しいと首をひねった。その代わり、うちの商品にはそれに見合うだけの価値があると、彼はとても熱心に説明してくれた。原材料はイタリアのサンマルツァーノ種を使っているだとか、栄養価が高くてうまみ成分が豊富だとか、加熱調理に適しているだとか、そういう細々したことだ。それらを聞いているうちに、私たちは多少値は張っても美味しい食材を使った方がお客様は喜んでくれるのではないかと考え始めた。実際、彼が置いていったトマト缶を使って、従来のものと食べ比べたら、社員の大多数が彼が勧めたトマト缶の方が美味しいと言った。酸味が上品で、彼が言った通り、うまみが際立っていたのだ。
そういうことがあって、私たちは彼のところから仕入れを行うようになったのだが、これがお客様にも好評だった。後日、そのことを彼に伝えたら、彼は「それはあなたたちの功績ですよ」と言った。自分の仕事はあくまで商品を納めるまで。価格は高いですが、その分、納期と品質は絶対に守りますよと、平然と微笑んだ。たしかに最初は、頑として値引きに応じない彼の態度に不満だった。けれど何度も話し合いを重ねていくうちに、彼の熱意と一貫性に少しずつ信頼が増していった。そういう人なのだと思えば、彼が「安くするくらいなら断ります」と言った理由もなんとなく分かった気がした。自信を持って勧める理由があるからこそ強気の価格だし、普通なら言わないようなデメリットも正直に話す。メリットデメリットをすべてテーブルの上に並べた上で、さあどうしますかと、こちら側が試されているような気さえした。それまでも色々な人間と会ってきたが、彼ほど博識で実直な人間を見たことがなかったから、私は少しずつ彼の人間性に惹かれていった。彼の仕事に対する情熱に圧倒されたと言ってもいい。
それ以来、彼とは主要取引先の一つとして関わってきた。
トマト缶以外にも、スパイスや調味料も彼のところから仕入れを行った。
新しいメニューができれば、彼に報告し、試食会に招待したりもした。
その後、彼は途中から担当を外れてしまったけれど、二店舗目を出店した時には、彼から真っ白い胡蝶蘭が届いた。他の花は全部「祝 御開店」とある中、彼の立て札には「いい店になると思います」と書いてあって、彼らしいなと思った。
でもそれを最後に、彼と関わることは減っていった。私は私で、お店の売り上げを伸ばすのに必死だったし、彼も忙しかったんだろうと思う。そこへコロナがやってきた。感染症対策もしたし、密を減らす工夫もした。テイクアウトメニューも用意したし、時短営業にも従った。それでも客足は戻らなかった。三年間、耐え続けた。スタッフの数を減らし、仕入れも見直した。でも負債は減らなかった。それどころか増えていった。そうして昨年末、ついに会社が破産した。
そんな時に電話をくれたのが九鬼さんだった。
「良かったら、うちに来ない?」
まさに目の前に光が差し込んだようだった。まるで神の声が反響して、眼前に垂れ込めていた暗闇を吹き飛ばしていったような、まだやれると、手を持って引っ張り上げられたような感覚だった。
「僕はあなたのことをよく知っている。責任感が強くて、リーダーシップがあって、誰とでも気さくに話せて、あなたのような人なら、ぜひ一緒に働きたい」
その言葉に、私は救われた。涙が出るほど有難かったし、九鬼さんとなら、もう一度、ゼロからやり直せるかもしれないと、本気でそう思った。
でもいざ入社してみると、私は九鬼さんとは違う部署に配属された。営業管理部。輸入食品の発注管理、在庫管理、取引先への連絡対応など、九鬼さんがいる営業部のバックオフィス的な部署だ。つい数週間前まで代表取締役だった私が事務を担当することになにも感じなかったと言えば嘘になるが、九鬼さんが社内の序列を気に掛けてわざと責任の重くない職を与えてくれたのだと考えれば、それほど嫌ではなかった。むしろここで成果を上げれば、営業部に異動することも可能だろう。それまでは修業期間と捉えて頑張るしかない、そう思った。
そうやって働き始めて、新しい環境、新しい働き方に慣れてくると、社内の様子が少しずつ分かってくる。あの人は仕事が早いけど、被害者意識が強めだなとか、あの人はみんなから頼られているけど、成果を横取りされそうだなとか、そういう人間関係の力学のことだ。彼女は妙に顔が広いなとか、敵に回すと厄介だなとか、そういう内側の顔は、会社の外、特に取引先という関係にいるうちはなかなか見えづらい。九鬼さんは、社内で変人扱いされていた。
以前からなんとなく思っていたことではあるが、九鬼さんは良い意味で変わっている。
普通の営業であれば、顧客の要望に応えようとするものだが、彼は強気の姿勢を崩さない。むしろ彼の方から別の条件を提示してきて、取引の構造ごと変えようとしたことも多々あった。試食会でも若い営業たちが無難に「美味しいですね」と感想を口にする中、一人淡々と「この味だったら別の商品の方が合うかもしれない、次回サンプルをお持ちしますね」と次回の話をしたり、「これこれこういう理由で商品を探している」と相談したら、「それだったら〇〇社の商品の方が向いている」と競合他社の商品を薦めてきたり、「今年は天候不良で現地での収穫量が減っているから、今のうちに在庫を持っておいた方がいい」と、頼んでもいない情報を教えてくれたり、とにかく彼は変わっていた。これらに共通するのは、相手にとって何が一番有益か、という彼自身の哲学だ。それも、表面上でそう演じているといった計算高いものではなく、彼にとってはしごく当然の判断なのだと、こちらにそう感じさせる熱量を伴っている。
同じ会社で働き出して、こうして間近で九鬼さんを見れるようになって、改めて、そこは変わっていないんだなと思った。ただ、それが社内で彼を変人たらしめているのは否めない。
周りが言うには、彼は残業をしないそうだ。会議にもあまり出ないらしい。いつも一人でぼそぼそと呟いていて、たまに出席した会議でも、自分に関係のない議題に移ったら途中で退席するらしかった。常に何かを調べていて、常に何かを考えている。社内の飲み会には参加しないし、海外に出張してもお土産は買ってこない。彼が書くメールは極端に短くて、冷たい印象を受けたと言う人もいた。とは言え、挨拶をすれば返ってくるからべつに無愛想な引き篭もりというわけではなさそうだが、彼ら彼女らの中で「近寄りがたいお偉いさん」という印象はなくならないのだろう。ある人は、人事部主導で毎年行われていた社員満足度調査を廃止に追い込んだのは九鬼さんだと教えてくれた。「社員を満足させてどうする? 満足した人間はそれ以上を望まなくなるよ」と、そう言ったらしい。
面白い人だな、と思った。
彼は一家言ある人だ。彼には彼の哲学があり、確固たる信念がある。
先日も――これはあくまで噂話だが――、日本では使用を制限されている添加物を含んだ食品を輸入するかどうかで話し合った際、他の役員たちが賛成する中、彼だけが反対したそうだ。日本の基準に合うように処理をすれば法的には問題ないと主張する役員たちに向かって、彼は「消費者はそこまで理解して選んでいるのか?」と問い詰めたらしい。
「利益は結果であって、目的であってはならない。目的を見失った利益は、やがて会社を腐らせる」
安全基準の低い環境で作られた食品を扱うことへのリスクを彼は警鐘したわけだ。
なんて格好いいのだろう。
そんなことを上層部に向かって言える人間が何人いるだろうか?
こんな人、なかなかお目にかかれない。
外見ではなく、その生き方が格好いい。孤高のライオンではないが、相手が誰であろうと、率直に自分の意見をぶつけるその姿勢そのものが美しい。
でもそう考えると、彼は自分の頭で考えて動き、その責任を引き受ける覚悟を持ちながら仕事をしていることになる。営業部で新入社員が一年持たないのは他部署で笑い話にされているが、彼が新人に自分の頭で考えて行動することを求めていたなら分かる話だ。指示通りに動くだけではなく、それに自分の考えをプラスして新しいことに挑戦していく、そういう態度を彼が求めていたなら、それはまさにニーチェの言う『超人』的な思想を体現してはいないだろうか?
たとえば、こんな話を聞いた。
今はもういないが、以前、営業部に顧客からのクレームを握り潰した中堅の社員がいたそうだ。彼は、彼が納品した調味料について、「匂いが強すぎる」というクレームを受けた。ところが彼は取引停止を恐れて社内には報告しなかった。「そういう仕様です」と顧客に伝え、そのまま問題なく処理された。後日、それを知った九鬼さんは激しく彼を追及した。そこで彼が「大事には至っていません」と説明したら、九鬼さんはこう言ったそうだ。「きちんと匂いが強い理由を説明して納得してもらったか?」と。「お前は顧客から判断する権利を奪っただけじゃないか?」と。
もう一つある。
とあるベテラン営業が、ある日突然、担当商品から外されたらしい。この営業は、長年同じ商品を扱っていて、売上も安定していた。それでも九鬼さんが彼を外したのは、彼が商品の味や特性を深く理解していなかったからだと噂されている。九鬼さんが彼に「自分の言葉で説明できるまで戻ってくるな」と言い放ったのは有名な話のようだ。
そんなだから、彼には敵が多い。でも彼は、敵さえも敵と思っていない。彼にとって敵は、自分の価値をかけて勝負する相手であり、乗り越えるべき通過点でしかない。
そんなだから、彼はしばしば社内で孤立する。でも彼はそれを弱さではなく、創造するための環境として楽しんでいる。「一人で寂しそうですね」なんて皮肉を言ってくる人間には、「むしろ視界が澄んで助かるよ」と皮肉で答える。
彼は今、営業部長の席にいる。
彼が部長になってから会社の売り上げは右肩上がりだそうだ。
結果、営業部では、誰もが彼の思想に染まっている。営業部での会議が短かったり、残業が少ないのはその証拠だろう。営業部は今や異様に強い個の集団になっている。
そのトップに君臨する彼を、『超人』と呼ばずになんと呼ぶのだろうか――。
冷たい風が吹き抜ける。
私はコートに身を包んで、早足でマンションのエントランスに向かっていった。
オートロックを開錠し、中に入る。
郵便受けを確認し、不在票を持ったまま、エレベーターに乗り込んだ。
息を整え、頭上の数字を見上げながら、ふと思う。
――そう考えると、私はまだまだだ。
やがてエレベーターが開いて、通路を進んだ。
ヒールの音が重く響いていた。
家の玄関の前まで来て、ふと立ち止まる。
なぜ止まったのか自分でも分からずに鍵を開錠すると、今にも電池が切れそうな機械音が鳴った。
ドアノブに手をかけ、そっと扉を引き開ける。
部屋は暗く、優しいコンソメの匂いがした。
中に入ると、自動で電気がついた。もうみんな寝ているのだろう、リビングは暗い。
そろりそろりと戸を開くと、いつもの我が家の匂いがした。
キッチンの電気をつける。洗い物がされて、シンクは綺麗だった。冷蔵庫には息子が保育園で作ってきた赤い鬼のお面が貼ってある。
コートを脱ぎながら、壁に飾られた結婚式の写真の前を通り過ぎて、リビングに入っていく。と、キッチンの明かりで照らされたダイニングテーブルの上に、何かの用紙と封筒があった。用紙の上には、金色の腕時計と車の鍵が置いてある。
「えっ?」と、違和感が漏れた。
なにか分からないが、胸騒ぎがする。
おそるおそる近づいて、バッグを椅子に置いた。
脱いだコートを椅子の背にそっとかける。
用紙の上に転がる金の腕時計は、私が彼にあげたものだ。でもなんで……。
腕時計をそっとずらすと、用紙の左上に『離婚』の文字が見えた。
「うそ……」
その瞬間、足元の床が抜けていった。
私?
足元に敷き詰めていた自尊心はばらばらと捲れ、その下に底なしの暗闇が顔を出す。
使えないのは周りだと思っていた。
軽蔑すべきは資本主義の奴隷だと思っていた。
でも彼らには、少なくともしがみつくものがある。
私には、ない。
足元にぽっかりと穴が開いていた。
会社は潰れ、借金だけが残り、夫は去った。
息子は四歳でなにも分からず、今の職場には軽蔑すべき人間しかいない。
超人を夢見ながら奴隷にも及ばない私は、いったい何者なの?
「パパァ?」
戸の閉まった寝室から息子の声が聞こえてくる。
やがて息子がベッドから降りて走ってくる音が聞こえて、私は膝から崩れ落ちた。