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【第1回】魔法の小舟

 パパみたいだね、母はその蛹(さなぎ)を見て言った。

 細い用水路の流れる坂道、民家の塀から突き出た山椒の木に、アゲハ蝶の蛹がぶら下がっていた。背中に通した糸に支えられ、葉の陰でじっと固まる。キャベツのような緑色で、お腹がぷっくりと膨らんでいた。

 蝶になったら、またふらふらって、どっか飛んでいっちゃうんだろうね。

 母は蛹のついた小枝を折り取って、それを足元の用水路に流した。

 あっ、いっちゃった。私が言うと、いいの、どうせ蝶になんかなれないんだから、と母は私の手を引いた。

 幼稚園児くらいの頃だったと思う。それ以来、私は蛹に興味を持った。何だろうって思ったのもあったけれど、水に浮いてあっという間に流れていったそれは、障害物をひょいひょいとかわして進む魔法の小舟のように映ったからだ。

 

 母はよく私を静岡にある祖父母の家に連れていった。

 品川駅から新幹線で一時間半。ちょうど、ディズニーのDVDを一本見終わった頃に着く、私にとって身近な家だった。幼稚園が終わって、突然、連れていかれたこともあったし、夏休みには数週間泊まったこともある。父は行かない。いつも母と二人だけの小旅行だった。パパはお仕事を頑張ってるんだよと母は言う。パパもくればいいのにと私は思った。私は父と魔法の小舟遊びがしたくて仕方がなかったのだ。

 祖父母の家は果樹農家だった。夏には梨を、冬から春にかけてはみかんを作っていた。だから石垣で囲まれた大きな屋敷の周りには、梨畑やみかん畑がたくさんあった。そして屋敷の庭には、どういうわけか、あの魔法の小舟がたくさんあった。

 祖父母の家には、母の弟夫婦も住んでいて、彼らには当時、二人の息子がいた。弟は生まれたばかりの赤ん坊、兄の方は私と同じ年。周りはその子のことを恭ちゃんと呼んでいたから、私もそう呼んでいた。

 恭ちゃんは、にこにことよく笑う可愛らしい男の子だった。髪は御河童で、目はボールペンで線を引いたように細い。背は低く、痩せていて、皆が集まっていても、部屋の隅っこで黙々と本を読んでいたりするから、客間に置かれた日本人形のようだった。そのくせ、転ぶと大声で泣き喚き、嫌なことがあると、抱っこしてもらうまで地べたを這いずり回ったりする。恭ちゃんは、当時、私が通っていた幼稚園のどの男の子とも違う、いわゆる『感情を内に秘めた』不思議な男の子だった。

 それでも、私を慕って後をついてくるところや、私の真似をするところは、弟のようで可愛い。私には弟も妹もいなかったから、私はそれが嬉しかった。私が指示を出す係で、恭ちゃんは物を取ってくる係。私たちはいいコンビだったのだ。

 私たちはすぐに魔法の小舟探しに夢中になった。倉の壁、納屋の裏側、縁側の下から池の傍の植え込みまで、まるで敷地内に隠された財宝を探すように、私たちは小舟を探して回った。そして、あった、またあったと見つけては、祖母からもらったスーパーのビニル袋の中に入れていた。すると今度は、魔法の小舟で一杯になった袋を持って、家の前を流れる用水路に行く。そして道路に寝そべって一つずつ流しては、後を追いかけて遊んでいた。

 ところが、そうやって二人で遊んでいたある日、恭ちゃんの母親が見にやってきた。私の叔母(おば)さんに当たる人だ。私はこの叔母さんがあまり好きではなかった。母は、リエちゃんと呼んで親しくしていたけれど、私にとって叔母さんは、すぐ怒る、とても怖い人だったからだ。そしてその時も、小舟を流して遊んでいた私たちは、案の定、叔母さんに叱られた。

 何を言われたかまでは覚えていない。きっと、生き物を何だと思ってるのとか、命を粗末にするなとか、そういうことを言われたんだと思う。

 蛹が蝶になることを知ったのはその時だ。

 その時の衝撃は、今でも忘れられない。全身の水分が汗となって噴き出してきて、恐怖と嫌悪、その両方が一遍に襲ってきた。なぜなら私は蝶が怖かったからだ。蝶の動きは速いし、どこに飛ぶのか分からない。さっきまで遠くを飛んでいたと思ったら、急に近づいてきて洋服に止まったりするのも嫌だった。翅(はね)にある模様も気持ち悪かったし、何より、蝶は蜂のように人を刺すものだと思っていた。

 恭ちゃんは泣き出し、私は集めた小舟をどうすればよいか分からずに突っ立っていた。

 ビニル袋の中を覗くと、黄色、黄緑色、枯葉色、大小様々な小舟が溜まっていた。そしてその中の一つ、透き通った緑色をしたものが、袋の底でくねくねと、時計の振り子のように動いていた。

 私はビニル袋を道端に投げ捨てた。そしてそれ以来、私にとって蛹は、触れてはいけないものになった。

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