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Photo by Comfreak

【第2回】GMC

 約五カ月前、九月中旬。都内某所――。

 

 息が弾む。

 小さく吐いて、小さく吸い込んだ。

 ふっ、ふっ、ふっ――。

 頭上を信号機が過ぎていく。

「二百四十六」

 高層ビルが流れ、雲が流れた。

 ビルに挟まれた四角い空が冷たい。前方のスクランブル交差点を人々が横断していた。

「二十代、女性、コート赤、スキニージーンズ、ヒール赤、モデル体型」

 地面を蹴り出すペースをやや落とす。

「五十代、男性、ニット帽、紺のダウン、がに股、小太り」

 歩きながら息を整え、肩をストレッチした。

「八十代、男性、ダウンオレンジ、スニーカー白、腰曲がる、杖、白髪、長髪……」

 信号で停止する車の横を通り過ぎる。

「白、セダン、AD車、助手席扉に凹みあり、車体後部までかすり傷伸びる、後部座席の窓、少し開く。指。子供の指?」

 車がゆっくりと走り出す。窓から覗く可愛らしい指がすっと中に消え、私も走り出した。

 膝を使って、地面を目一杯蹴っていく。

 コンビニ、バル、ドラッグストア、色々な店がどんどんと過ぎていった。

 ビル陰の外灯に、小型の監視カメラが一台。

「二百四十七……」

 徐々にペースを上げる。地面を蹴るピッチを速め、吐く息を小さくまとめた。

 はっ、はっ、はっ――。

 心拍数、一六八。眼前に表示される心拍数が急速に上がっていく。

 心拍数、一七二。視界に映る空も街も、引き伸ばされるように後方へと流れていった。

 心拍数、一八七。

 はあっ、はあっ、はあっ――。

 息が弾む。心臓が高鳴り、激しい脈動がこめかみを圧迫していた。

 右上のタイマーに目をやる。

 残り二分。もう少し。もう少しだ。

 ずしん、ずしんと着地の衝撃が膝を伝って腰まで昇ってきた。ふくらはぎと太ももの感覚が薄れ、ちゃんと足が上がっているのか分からなかった。それでも腿を引き上げ、力一杯地面を蹴り出す。

 はあ、はあ、はあ――。

 声に出せないほどに息が上がり、残る力を振り絞った。

 ラスト一分!

 周りの景色が早送り映像のように過ぎていく。

 苦しくて、なにも考えられなかった。心臓が破裂するんじゃないかってくらい高鳴っていた。それでも小さく息をまとめ、小さく吸い込む。

 ふっ、ふっ、ふっ、 ふっ――。

 ラスト三十秒!

 必死で腕を振り、地面を蹴った。

 ラスト十秒!

 クソったれ!!

 と、視界の端を、埋め込み型の監視カメラが過ぎていく。

「二百四十八!」

 ちょうどその時、空が瞬きをするように一度だけ明るくなった。それから少し遅れて、頭上で大きな電子音が鳴る。

 私は走るペースを緩め、流しながらジョグに切り替えた。

 はあ、はあ、はあ――。

 頭上を見上げると、白い空に『着信』の文字が点灯していた。その下には、『プライベート』の通知が赤く点滅している。

 はあ、はあ、はあ、ふぅぅぅぅ――。

 長い息を吐き出すと、眼前の心拍数が急速に下がっていった。

 腰に手を当てて呼吸を整えながら、点滅を繰り返すプライベート会話に応じる。

「はい、巻です」

 その途端、周りにあったビルや街路樹、それから人や車は、あっという間に消えて、私は漆黒の暗闇に囲まれた。

 そこは物がひとつもない真っ暗な部屋。余計な情報が一切ない、いつもの部屋だった。部屋というよりも空間と呼ぶべきか。その暗闇の中心に、今、二本足で直立するアニメ調の羊がすうっと現れる。真っ暗な空間に、私と羊の二人だけ――。

「調子はどう?」

 やがて羊が喋った。

「はい、上々です」

「二〇二一年、東京オリンピック。我が国の獲得メダル数は?」

「金九、銀十二、銅十九個。男子バドミントン決勝での、会田選手のサーブは圧巻でした」

 会田真琴選手のすっきりとした好青年顔が頭に浮かぶ。頭の中で、白いシャトルが白線の上にぴしゃりと跳ね返り、会田選手が笑顔でがっちりと拳を握り締めた。

「二〇四四年、我が国初の企業産胎児の特徴は?」

「早乙女康大。出生前診断で、パト―症候群の可能性を指摘された男児。受精卵に遺伝子操作を施した後、母体に戻し出産。出生時、二八六八グラム。母子ともに健康体。脳、四肢に異常なし。わき腹と右頬に薄い帯状の斑紋。二十四歳になった現在は、帝都大にて医師として勤務中です」

「二〇五六年、湾岸防壁崩壊時、作業に当たっていた作業員の会話」

 歩くペースを緩め、意識して長い息を吐き出す。

「辛い時こそ思い出せ」

 そして鼻から思い切り空気を吸い上げた。

「危ない、崩れるぞ。撤収、撤収」

 そこまで一気に言うと、私は暗闇に浮かぶ黄色い数字に目をやった。

 心拍数、八七。平常時よりやや高め。でもさっきよりはだいぶ落ち着いた。

「よろしい。不法入国者の行方調査――。巻さん、あなたにお願いします」

「はい」

 私の声に、羊は直立したまま微動だにせず話し始める。

「対象の名前は、朴成浩、十八歳」

 そして目の前の暗闇に、ぽっと一枚の顔写真が飛び出した。

 暗闇に浮かぶ写真の男は、目が細く、えらが張っていた。浅黒い肌に坊主頭、首が異様に太い。第一印象は、素朴な田舎の青年といったところか。人相が悪いとかそういうのではなく、ただただ真面目な感じがした。それも、愚直すぎるほどの真面目さだ。パク・ソンホ――韓国人だろうか……。

「これが、難民申請時の顔写真」

「難民?」

 私は歩きながら聞き返した。

 難民ということは、戦争から逃れてきたのだろう。

 二カ月前に、南浦特別市をアメリカ軍が占領して以来、朝鮮半島では、アメリカ軍による制圧が続いている。先月の頭には、アメリカ軍の後押しで、南浦特別市に『李澄明』独立政権が誕生し、それに反発した北朝鮮政府は声明を発表し、アメリカを厳しく非難していた。報道では、北朝鮮軍とアメリカ軍の地上戦が日に日に激化しているようで、先日アメリカ軍の一部が撤退したニュースは記憶に新しい。

「パクは、先月三十日に、仁川からの難民船に乗って、長崎県福江島の難民キャンプにやってきました。ところが十五日の朝、キャンプから姿を消した。これが血液検査とGMC能力診断の結果です」

 目の前に浮かんでいた顔写真が消え、代わりに何かの検査結果がポップアップする。

「遺伝子データから、優れた毒耐性、治癒能力を持つと予想されます」

「毒耐性……」

「パクはアグリテック産のGMCです」

 私は思わず足を止めた。

 GMCというのは、ジェネティカリーマニピュレイティドチャイルドの略、つまり遺伝子操作された子供、という意味だ。私もGMC。私は、ヒューマンインテリジェンスアカデミーという企業で生まれた。パクはアグリテック産。アグリテックは、元々、農作物や動物に遺伝子組み換えを行う中国企業だったが、ここのところ、不死身の生物兵器を作ろうとしているとか、宇宙空間でも生きていける新人類を作り出そうとしているとか、あまり良い噂は聞かない。

「どう?」

 羊の柔らかい声が聞こえて、私は目の前に浮かぶ画像に目をやった。

 じっと画像を眺めて、検査結果をしっかりと目に焼き付ける。

 まず目についたのが、リンパ球の数値だ。基準値二六から四六に対し、六二パーセントとなっている。数値が異常に高い。備考欄には、ガン、白血病の可能性が指摘されている。

 また、AST、ALTの数値も恐ろしく高い。肝疾患関係の数値だ。実際、『可能性のある疾患』の欄には、『慢性肝炎、肝硬変』の単語があった。その他で言えば、アルブミンの値が基準値を下回っているくらいか。グロブリンの値も少々高めだ。

 ただ、驚くべきは、その身体能力の高さだろう。

 GMC能力診断によると、パクの身長は一六八センチ。体重は六七キログラム。肺活量は七二〇〇ミリリットルで、成人GMC男性の約一・五倍だ。瞬間最大エネルギー変換効率は六二パーセント。これは筋肉のエネルギー変換効率を表した数値で、通常は三〇から四〇パーセント、パワー系GMCで平均七五パーセントとされているから、かなりの筋力を有している可能性が高い。また、記憶たんぱく質の総量は一八パーセントで、こちらは平均並み。SS遺伝子含有率は一・三で平均的であることから、知能・記憶系、免疫系のGMCではないことが予想される。つまり――。

「まだ何とも言えませんが……」と前置きをしてから、私は答えた。

「これだけ様々な疾患や感染症の可能性が指摘されていながら、おそらく健康体、かつ、エリートGMC級の身体能力を持っている、ということは――」

 深呼吸をして息を整える。

「彼が、北の工作員である可能性が非常に高いと思います。過酷な訓練を積んだ兵士の可能性も考えられるかと……」

 すると羊はじっと私を見て、こくりと頷いた。

「よろしい。サポートに木田と指原を回します。指揮はあなたが執ってください。課の資源は自由に使ってもらって構いません。ただし、この案件を知っている人間は限られています。細心の注意を払うように」

 そしてまた、直立不動のまま身動き一つせずに私を見つめると、すうっと暗闇に姿を消した。消える直前、羊が一瞬、笑ったようにも思えたが、私の思い違いだろう。アバターが主の感情を再現できるわけがない。

 頭上に点滅していた『プライベート』の通知が消え、ビルや街路樹、信号機などの街が戻る。

 ふぅと細い息を吐き出して、眼前に表示された心拍数に目をやると、七二だった。

 設定のオブジェクトから、監視カメラの数を確認する。

 二百四十八個。

 私はVRヘッドセットを外した。

 頭を締め付けていた圧迫感から解放され、やけに清々しかった。

 硝子窓の向こうに、煌々と朝陽が輝く。

 眼下に、すっかり朝の顔を取り戻した都心のビル群が広がっていた。

「パク・ソンホ……」

 ぐっしょりと濡れた髪の先から、ぽとりと汗が滴り落ちる。足もとのランニングマシーンには、黒い染みが点々とついていた。

 濡れた髪をかき上げ、硝子に映った自分を見つめる。

 その目は細く、唇は薄い。髪は黒く、襟足は短かった。決して美人ではない。愛嬌があるわけでもない。顔が小さく、手足がひょろ長いから、長雨に打たれた藁人形のように草臥れて見えた。それでも今は、自分でもびっくりするくらい、すっきりした顔をしている。

「あなたは必ず、私が見つけ出す。待っていなさい」

 そう言って、硝子の中の自分を睨みつける。すると額の真ん中に、しこりのような出っ張りを見つけ、私は急に恥ずかしくなって前髪を下ろした。

 

 

 私は、巻はる子。二〇四六年生まれの企業産人間だ。

 企業産人間と言うと、まるでロボットか何か、人間とは別のモノのように思うかもしれないが、私は紛れもなく人間だ。頭の中で考えていることを言葉で伝えることができるし、相手が何を考えているのか推し測ることもできる。皆といる時に、誰も何も言わなくたって、自分がどうすべきか分かるし、それによって、皆にどう思われるかも大体予想がつく。もちろん、それを実際にやるかどうかはその時と状況によるけれど、自分が行動することで相手が喜べば嬉しいし、傷付けば悲しい。逆に、相手の言動に苛立たされることもあるし、落ち込むこともある。でもそういうものこそ、人間、誰もが根本に持っている感情なんじゃないかなって思う。

 私はヒューマンインテリジェンスアカデミーというところで生まれた。

 ヒューマンインテリジェンスアカデミーは、大阪大学の生物物理学の学生が起業した、遺伝子組み換え企業の一つで、世間には『HIA』の名称で親しまれている。

 四三年のフジサキ法改正以来、企業は競うようにヒトの受精卵に遺伝子操作を施してきた。先天性疾患の治療はもちろん、外見を良くしたり、足を速くしたり、企業は『生まれてくる子に少しでも魅力的な才能を』と世論を誘導し、世間はそれに呼応した。自分の周りに、一人でも特異な能力を持った子供がいれば、ぜひ我が子にも、と考えるのが普通の親だ。特にその子が成長した将来、遺伝的に優秀な企業産人間と競わなければならないとあれば、それをやらない手はない。

 様々な企業が生まれ、消えていった。中には、詐欺まがいの企業もあったと聞いたことはある。そういう玉石混淆の混沌期を経て、HIAは『人を育てる』を企業理念に、能力の開発よりも、心の発達に重点を置いた、人材育成型の比較的新しい新興企業として有名になった。

 たとえば、HIAは選択制人工胎生を行っていない。選択制人工胎生とは、精子・卵子バンクから優れた精子と卵子を選んできて、研究室内で人工的に受精させる行為のことだが、この場合、同じ卵子と精子から何人もの子供を生み出すことが可能だ。しかし卵子・精子を提供した者に養育義務は発生しない。だから企業が内部に育成施設を抱えていることが多い。つまり生まれてきた子供は、親を知らずに育つわけだ。

 それに対してHIAでは、パートナー関係にある男女の受精卵に対して遺伝子操作を行う。生まれてきた子供は、彼らが養育し、HIAがそれをサポートする。乳幼児期の心の発達において、親との愛着、そして容認・肯定を含む信頼関係の構築が必要不可欠と考えているからだ。その他にも、HIAは『ハイタウン』と呼ばれる独自の町コミュニティを持っていたり、ハイタウン内でのみ使える『ハイコイン』という通貨を持っていたりする。決して大企業ではないが、地域社会全体で育成プログラムを実施している稀有な企業でもあるのだ。

 六八年現在、ヒトを作る企業は、HIA以外に、スマートジェネティクス、マックスジーン、武蔵テックなどがある。どれも老成円熟の大企業だ。一般的に、エスジーは記憶・知能系に強く、エムジーは運動機能系に強いなど、それぞれに得意な分野があって、うちは免疫系に強いと言われている。ただ、HIAで生まれた全員が免疫系に強いかというと、そうではなくて、言語能力が高い子もいるし、足の速い子もいる。あくまで、遺伝子を操作して得られる可能性のある能力というだけで、実際の能力の発現率には個人差がある。

 私は、記憶系の能力が高い。

 長期記憶、短期記憶、作動記憶。GMC専門能力試験において、私は全てにおいてA判定をもらった。他人よりも記憶の保持容量、そして想起効率がちょっとだけ優れていると、そういうことだ。というのも、私には『映像記憶』がある。映像記憶とは、見たものや体験したことを、そっくりそのまま、映像のように記憶できる能力のことを言うらしい。

 たとえば、昨日の夕食にパスタを食べたとする。すると私は、その体験を『昨日、パスタを食べた』という言葉ではなく、動作で覚えている。視覚化したシーンとして覚えていると言ってもいい。つまり――私はフォークを右手に持ち、お皿の端のパスタからくるくるとフォークに巻きつけた。親指と中指を擦り付けるようにフォークを回転させ、最後に小さく刻まれたトマトの切れ端を刺した。それから、フォークを口に運び、うんとガーリックの効いたマリナーラソースを堪能した――という映像だ。この一連の映像が、「昨日、何食べた?」という質問をきっかけに、水面に垂らした油滴のように、色を伴ってわっと頭の中に広がる。だから、どんなフォークだったか、お皿には何が書いてあったか、パスタには何が入っていたか、その周囲の景色も、音も、雰囲気も、全部一遍に思い出すことができる。

 だから、人の顔は一度見れば、覚えられる。見慣れた部屋の中の家具が少しでも動いていれば、すぐに気が付く。パスワードのような数字や文字列は、写真のように思い出せるし、本は一度読んでしまえば要らなくなる。そしてこういうことを言うと、大抵の人は羨ましがる。テストは簡単だったでしょとか、勉強は楽だったでしょとか言ってくる。でも私の場合、この能力を嬉しく思ったことはない。なぜなら、映像記憶というのは、自分でコントロールするのがとても難しいからだ。

 先のパスタの例で言えば、私がマリナーラパスタを食べた映像を見ている時、私は他の映像も見ている。それはたとえば、夜中に食堂で一人、冷えたパスタを飲み込んでいる自分だったり、胸をナイフで刺された老婆の腥臭だったり、パソコンモニタに映る報告書だったり、きぃきぃ音を立てるスチールチェアだったり……。そういう特定の記憶が、映像によって想起された特定の感情に付随して、勝手に頭の中で再生される。

 私は、この突発的な記憶の再生に随分と苦しめられてきた。小さい頃は本当にどうしていいか分からずに、大声を出したり、暴れたりもした。周りの大人達に両腕を持たれて、床に押さえつけられりもした。今では訓練によって、ある程度、頭に浮かび上がる記憶の選別ができるようになったが、それでも疲れていたり、ストレスが溜まってくると、忘れたいと思う嫌な記憶が勝手に蘇ってきたりもする。映像記憶というものは、決して良いことばかりではないのだ。

 そういうこともあって、私は仮想現実空間にできるだけ入らないようにしている。いわゆるVRの世界だ。主治医に注意されているというのもあるが、個人的にも見たくはない。VRの世界はリアルな映像が多いから、たとえば、グロテスクな映像とか、恐怖映像とか、そういう不必要に刺激の強い映像はずっと記憶に残るし、それらが不意に頭に蘇ると、日常生活の妨げになる。もちろん、先のトレーニングプログラムだったり、現場シミュレーションプログラムは別だ。内容や目的が明示されていて、かつ、それが信頼できるVRプログラムなら利用する。ただ、世に溢れているVRは、そういうものばかりではないと、そういうことだ。

 この映像記憶のことを初めて母に話した時、母はとても喜んでいた。私がそういう力を持っていることにではなくて、なぜ私が泣いていたのかが分かってほっとしたらしい。それまで私は意味もなく泣いたり、部屋に籠もったりしていた。当時の私は、皆がそういうものを見ていると思っていたから、それに上手く対処できない自分が悪いと思っていた。私は母に連れられて病院へ行き、様々な検査を受けた。そこで私は、私が皆と違う特殊な記憶方法を持っていることを医師から告げられた。十歳の時だったと思う。父はその場にいなかったし、髪の薄いお爺ちゃん先生が話す後ろで、湾岸防壁崩壊のニュース速報が流れていたのを覚えているから。

 これは大人になってから知ったことだが、父はその日、江戸川区域湾岸防壁崩壊事故の緊急対策本部にいたらしい。父は当時、警視庁の警備部長をしていたから、本部の中心となって忙しかったんだろうと思う。母が送った私の検査結果は、翌朝になっても既読にならなかったと母は不満を漏らしていたが、私は子どもながらに父が仕事で忙しいことは分かっていたから、何とも思わなかった。それよりも、これから毎週、病院に通って、記憶の対処方法を学ぶプログラムを受けなければならないことの方が憂鬱だった。子どもなんてそんなものだろう。自分の見えている小さな世界にしか関心はない。

 だから私にとって父は遠い存在だった。どこか別の世界にいる人、そんな印象だ。私の傍にはいつも母がいて、母を通して父と話している、私は父と話す時、いつもそんな感覚を抱いていた。でも私のこの能力をきっかけに、父は私と直に話してくれるようになった。病院から帰ってくると必ず、今日はどうだったかと私に聞いてきて、私が頭の中の映像を選べるようになったとか、一つ消せるようになったとか話すと、喜んでくれた。父は積極的に育児に関わる人ではなかったが、私が大人になるにつれ、その距離は縮まっていったように思う。私が父のいる世界に入っていったからかもしれない。父のいる世界――そう、私は警察官になった。

 今は警視庁公安部外事二課で、外国人の不法滞在や犯罪の捜査を担当している。

 主に中国や韓国、北朝鮮の工作員を捜査対象としているが、最近は人材不足で、アジア各国の工作活動や不正輸出も監視している。監視と言っても、監視カメラを仕掛けたり、ネットや通話の通信ログを調べたり、地道な作業の繰り返しだ。ゴミを漁ることもあれば、尾行したり、盗聴機器を仕込んだり、必要とあれば、銀行口座の取引情報を照会したりもする。私たちはとにかく、対象となる団体や個人が裏で何をしているのか、対象を『丸裸』にしなければならないから、職場や取引先、ネット上の交友関係から、趣味や酒癖、借金の有無、それから、どんな子供時代を過ごして、現在どんなトラブルを抱えているかまで、その人物に関係するありとあらゆる個人情報を調べ尽くす。昔は『ケツの穴の中』まで調べろなんて言われていたらしいが、今はそれこそ『DNAの中』まで調べる。どんなアレルギーがあって、どんな特異体質があるか。どんな思考回路で、どんな行動傾向があるか。遺伝子レベルで解析するのだ。

 二年前の夏、私がまだ公安警察官になったばかりの頃、政府の要人を狙った襲撃事件が多発していた。犯行は『神の怒り』、通称『カミナリ』と呼ばれるノンセクトユースグループによるもの。公安内部にも極秘の特別捜査班が作られ、私はカミナリ監視斑『マルカミ』に配属された。アジトの追求、そしてグループメンバーの面識、つまり対象の顔を覚えることが、私に与えられた任務だった。その時に、監視斑の指揮を執っていたのが、今朝方、VR通話をしてきた笠原警視だ。今は、ここ外事二課で管理官をしている。

「ガン、白血病、慢性肝炎、肝硬変……」

 モニタに映ったパクの検査結果を眺めながら、私は首を捻った。

 ブルーのカーペットが敷き詰められたフロアの隅、外事二課の入り口を人々が忙しなく出入りしている。フロアは幾つものスペースに仕切り板で区切られ、私はその中の一つで、パソコンモニタを眺めていた。

 どうも腑に落ちない。そもそもこれだけの疾病を患っていたら、自覚症状が出ているはずだ。動悸、息切れ、倦怠感……。そんな状態で、どうやってキャンプを抜け出したのだろう?

 キャンプ内の医療従事者を言いくるめたか、もしくは、彼の持つ毒耐性、治癒能力がそれを補っていると考えるべきか――。

「医学書、肝臓、機能」

 モニタに表示された医学書を眺めながら、右手で電子ペンを探す。そこにあるはずのペンを求めて机の上に指を這わせていると、突然、背後から声が掛かった。

「ペンの位置は、記憶できないんですね」

 びっくりして振り返ると、そこには、私の電子ペンを指先で器用に回す木田が立っていた。

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