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Photo by Markus Christ

【第2回】停電

『5』、『6』、『7』。

 頭上に見える電光表示灯の数字が上がっていく。

『8』、『9』、『10』――。

 音も揺れも感じないエレベーターに慣れてしまうと、それ以外はエレベーターとは呼べないとつくづく思う。除菌、抗ウイルス処置を施された清潔な空間。従業員、そして顧客の注意を惹き付けるデジタルサイネージ。昔は自分の指でボタンを押していたなんて、若い人間はまさか想像もできないだろう。時代とはそういうものだ。過去の不都合の上に積み重なっていく。

『13』、『14』、『15』――。

 壁に埋め込まれたデジタルサイネージが煌々と灯る。

『安心・安全な遺伝子組み換え食品を食卓へ 業界初トリプトファン含有量1000mg越え 大幸地鶏 エスジー食品』

 サイネージ画面が切り替わる。

『超人遺伝子大特価! ショートスリーパー 記憶力・学習能力向上 骨密度強化 業界ナンバーワンの信頼度 組み合わせ自由 パッケージ価格最大30%引き』

 デジタルサイネージの隣の壁には全身が映る大きな鏡があり、そこに車椅子に座ってサイネージ広告を眺める自分が映っていた。

 白い顎ひげ、弛んだ顎肉。頭頂部は禿げ上がり、脇に残った髪は白く縮れていた。

 随分と老けたもんだ……。

 使い古したなめし革のようにたわんだ皮膚、頬の老斑。目元、口元には長い歳月を経て刻まれた細かな皺が寄り、垂れ下がった瞼の下には、そこだけ異様に若々しい、ぎらついた瞳があった。

 今年、私は八十八になった。昔は米寿の祝いなんて習慣もあったが今はない。今は社会全体としての年長者に対する敬意さえない。元来、年長者は若者に知恵と経験を与え、若者は年長者に体力と行動力を与えてきた。どちらが欠けても、若者、年長者ともに未来はなかった。それが共存というものだろう。しかし年長者は知恵を失い、若者は力を失った。若者は諦め、年長者はそれを無視した。ともにいがみ合い、共存は途切れた。

「ふんっ」

 愛想とはおよそ無縁の仏頂面が鏡の中からこちらを見つめる。

 ジャケットから覗くでっぷりと膨れた腹は、長年積み重ねた貫禄とでも言っておこう。

 行先表示灯に目をやると、透明の黒硝子の下で『54F-1』が赤く点灯していた。

『27』、『28』、『29』――。

 あれから三十年か……。

 長かった。本当に長い月日を要したが、ついにここまで来た。

 

「藤崎さん!」

 彼は息を弾ませて、わざわざ他フロアから走り寄ってきた。

「藤崎さん、聞いたよ! 参議院、通過したんだってね! すごいなぁ。あの村中さんでさえ蹴った案件をたった一晩でやっちゃうんだから。すごいですよ。ほんとすごい! 局長になったらよろしくね!」

 その日、私は難病対策課の職員たちに拍手をもって迎えられた。昨晩、「ヒトの遺伝子操作に関する法律」の関連法案が衆参両議院を通過し、先天性の遺伝子疾患の回避を目的とした医療的な遺伝子操作が可能となったからだ。半年以上に及ぶ与野党間の協議の末、「遺伝的疾病の回避に限って」ヒトの遺伝子操作を認めるという画期的な法案だった。

 当時は、アメリカ、イギリス、インド、そして中国で、ヒトの受精卵に対する遺伝子操作が活発に行われている状況だった。もちろん、先天性の疾病を回避する目的に限っての極めて限定的な遺伝子操作ではあったが、遺伝子の改変は自然に対する冒涜だとか、遺伝子格差を助長するだとか、日本学術会議、日本医師会などを中心に様々な権威団体から反発が起こっていた。民間のNPO団体もナチ党を持ち出して優生思想への回帰だとか、遺伝子操作は倫理、道徳に反するだとか、膨大なページ数の意見書でもって反対し、それを受けて、全国各地では暴動レベルのデモが沸き起こっていた。第一野党である平和等民党が『ヒトの遺伝子操作』に断固として反対すると声明を発表したのも、ちょうどこの時だったと思う。

 ところが、お隣の韓国も法律の改正に乗り出すようだとの報道が出てから状況は一変した。主要メディアが揃って、政府の後手対応を批判し始めたのだ。メディアは連日、手のひらを返したように先天性疾患児とその親の特集を組み、当事者親子の苦悩を発信した。遺伝子操作手術を受けるために渡米した夫婦を取材し、諸外国の状況を好意的に伝えた。するとどうだろう。先天性の遺伝子疾患を治すだけなら良いのではないか、親ならば我が子が健康に生まれてくることを望んで当然、といった世論が強くなり、我が国もうかうかしていられないと、そういう暗黙の空気が当時の厚労省内でも支配的となったのだ。

 

『32』、『33』、『34』――頭上の電光表示灯が上がっていく。

 

 民意なんてそんなものだ。より強い風が吹けば、そちらに流される。

 もちろん反発の声もあった。

「憲法十三条に明確に反する。個人の尊厳に関わる問題だ」

「改正クローン技術規制法に違反しているんじゃないか?」

「我が国では、遺伝情報を書き換えた受精胚を胎内へ移植することは禁止されている」

 これらの声は、一つ一つ法律や倫理規定を見直していけば解決できる問題ではあったが、省庁間の調整や企業とのすり合わせなど、膨大な時間と労力が掛かることは明白だった。今まで禁止されていたものを一から見直そうとしているのだから当然だ。それに、たとえこれら法規の見直しが完遂できたとしても、「子どもが安全に成長する確証はあるのか?」と問われた時に、それに反論するための科学的エビデンスが圧倒的に足りていなかった。というのも、数年前にヒトの遺伝子改変を可能としたアメリカやイギリスを見ても、実際に遺伝子を操作されて生まれてきた胎児は十数例しかなく、そのほとんどが二歳未満だったからだ。

 一方で、時間がないことも皆分かっていた。ここで動かなければ、世界の潮流に乗り遅れ、長期的には「遺伝子操作」というブルーオーシャンにおいて他国に市場を独占される。皆、分かっていた。分かってはいたが、与党である優国民主党を筆頭に、誰もそれをやろうとはしなかった。一切の責任を負い、社会の理解、一部の世論を無視して推し進める気概を、誰も持ち合わせていなかったのだ。

 誰かがやらなければならない。問題は誰がやるか……。

 当時の厚労省に、村中遼蔵という男がいた。

 中二階だが、とても頭の切れる男で、優秀な審議官の一人だった。

 目が大きく、離れていて、アルパカのような愛嬌のある顔をしているが、実は人一倍負けず嫌い。過去の案件に精通していて、過去ファイルに載っていないような変更の理由や経緯をなぜか彼が知っているということも多かった。だから分からないことがあると、皆、彼に聞きに行く。すると彼は理路整然と説明する。そういった対応を長年続けてきた結果なんだろう。彼は他部署、他省庁に太いパイプを持っていたし、関係各所に対する事前調整の根回しが非常に上手かった。「村中さんが動けば、大抵の問題は解決する」とさえ言われていたし、実際、誰もが嫌う筋悪な案件でさえ、彼は断らなかった。『厚生科学の村中さん』と言えば、誰もが知る偉才の人だったのだ。

 ところが、彼は本件を断った。理由は分からない。噂では、この時すでに重度の躁うつ病だったらしかった。余談だが、彼はこの一件の翌年、他局へと異動している。そしてその後、退職したと風の便りに聞いた。とにかく村中が蹴ったことで、当時、大臣官房審議官だった私に白羽の矢が立ったというわけだ。私は難病対策課の課長も兼任していたから、当然と言えば当然の流れだったのかもしれない。

 私は二つ返事で快諾した。私にとっては出世のチャンスだったし、何より、省内で一目置かれていた村中が蹴った案件を通したとなれば、私の評価が上がるのは目に見えていた。それにこれは個人的なことだが、私は村中のことが嫌いだった。皆にちやほやされている彼を見る度にやり場のないむかつきが込み上げて、こっそりと保存しておいたアルパカの画像にバツ印を書き足したものだ。今思い返しても実にくだらない。しかし当時は、それですっと気分が良くなっていく感じがした。

 

『38』、『39』、『40』――。

 

 難病対策課の職員たちに拍手をもって迎えられてから一週間後、私は優民党の久米幹事長に呼び出された。十二月だというのに汗が噴き出すほどの真夏日の午後、議員会館に入った時のエアコンの涼しさは今でも覚えている。美春事務次官に連れられて入ったその部屋の奥で、久米幹事長はにこにこと私たちを迎え入れてくれた。「よくやってくれた」と、それ以外に何を話したかは覚えていないが、とにかく久米さんは喜んでいた。そして久米さんと話す美春事務次官も何だか嬉しそうだった。

 四年後、私は医薬衛生局長に昇進した。そしてその年、「先天的遺伝子異常における医療的遺伝子操作に関する法律」の関連法案が施行された。これにより、先天性疾患の回避だけでなく、治療が可能となった。

 二〇四〇年の人口動態統計によると、その年の出生数が約二十二万人で過去最低。そのうち、『先天性の奇形・染色体異常』により死亡した乳児の割合が一割を超えた。これは、新生児の実に十人に一人が、何らかの遺伝的異常を抱えていた事実を示す。原因は、遺伝子改良食品だとか、健康サプリだとか、様々に言われていたが、それを医学的に示す研究結果はなかった。いずれにせよ、この増加傾向にある先天性疾患児をどうするかは、団塊ジュニア世代が去り、人口減少が危機的課題となった我が国において、喫緊の問題だった。だからこの時、いわゆる難病とされてきた先天性の疾患を遺伝子操作により治療できるようになったのは、医学会をはじめ、世間からも好意的に受け止められた。

 そう――これだけならまだ良かった。しかし政府は、先天性疾患の治療目的以外でも、生殖細胞系列の遺伝子操作をしたいと言ってきた。当時の厚生労働大臣、猪野雅史、その人だ。猪野さんは超党派議連による『我が国の遺伝子組み換え技術を発展させる会』の会長をしていたから、どうしても我が国初の遺伝子操作ベビーを誕生させたかったんだと思う。金原事務次官は猪野さんから毎晩のように掛かってくる電話に精神的に参っていたし、見ていて気の毒なくらい落ち込んでいた。猪野さんの主張はこうだ――他国は、知能が高い人間、病気に強い人間、足が速い人間、そういう遺伝子を意図的に改変した人間をすでに誕生させている。我々も世界の潮流に後れをとるわけにはいかない――。

 私はこの法案に直接関与していなかったが、局内では連日この話で持ち切りだった。なぜならその当時、すでに技術的には可能だったからだ。でも本当にそれをして良いのか、誰も明確な答えを持っていなかった。それはまさに、超えてはいけない最後の一線であり、一度それを超えてしまえば二度と元には戻れない、この国の将来を左右する決断だった。

 そういう状況で、二〇四二年九月、本件に関して、厚生労働委員会の決議審議が行われた。審議には野党である平等党と社労党が欠席したが、尾方委員長が採決を強行。それを不服とした平等党、社労党の議員数名が委員長席に詰め寄り、一時揉み合いとなった。

 そして迎えた十二月の臨時国会――。国会は荒れに荒れた。

 遺伝的疾病の回避目的以外でも生殖細胞系列の遺伝子操作を可能とする「改正ヒトの遺伝子操作に関する法律案」を巡る審議は夜まで続いた。審議のやり直しを求める平等党の怒号が飛び交う中、今国会での成立を目指す優民党は強行採決を決行。数の力で衆議院を通過させた。これにより、「改正ヒトの遺伝子操作に関する法律案」は成立。参議院で一度は否決された同法案は、多数の議員が欠席する中、記名投票で賛成六六・八%という過去最低の数字で再可決された。

 するとこれに当然のことながらメディアが反発した。メディアは連日、政府を批判的に報道した。国民からも憲法違反だと声が上がり、全国各地でデモが勃発した。そうしてこれはいよいよ収拾がつかないとなった一月十二日、全国各地で成人を迎えた若者が一斉に抗議デモを起こし、老若男女を巻き込んで暴動に発展。優民党本部、そして国会前にもデモ隊が押し寄せ、警察、そして国防軍と衝突した。

 政治家は誰も責任を負いたくなかった。黙っていればいずれ収まるだろうと高を括っていた。それでも国民の怒りは収まらなかった。当時の山本政権は徐々に追い詰められていった。首相支持率は三割を切り、これはもう駄目だとなった。それでその月の衆議院通常国会で、当時の佐藤守孝議長が衆議院解散の詔書を読み上げると、「また責任逃れをするのか!」との怒号が飛び交う中、前代未聞の衆参両議院強制閉会となった。

 しかし国民の混乱はこれで終わらなかった。そもそもこんなとんでもない法案を作ったのは誰だと犯人捜しが行われた。そして誰が漏らしたか、私の名前が世間に知れ渡った。当時、エスジーから接待を受けていたのは事実だからそれを否定する気はないが、メディアは官僚神話の崩壊、官僚が日本を崩壊させたなんて畳みかけた。官邸主導のマル政案件だったというのに、一官僚の、しかも改正案に少しも関わっていない私がスケープゴートにされたのだ。

 まぁ、仕方がないと言えば仕方がない。

 時代とはそういうものだろう? 過去の理不尽の上に積み重なっていく。

 

「フジサキ法か……。ふん……」

 その時、エレベーターががくんと揺れた。

 何事かと思って咄嗟にハンドリムを掴むと、頭上の表示灯は『43』を表示したままだった。

「止まった?」

 すると、天井の電灯が消えた。同時に壁のデジタルサイネージ、エレベーター内の電子表示灯がすっと消えた。突然、視界が暗くなり、私はぎょっとして身を竦めた。

「停電か……」

 車椅子のアームに取り付けられた右手の操作球を動かしてビデオ通話を開始する。

「コール、ジウハチ」

 ところが操作球を動かしても反応がなかった。いつもなら、私の声に反応して自動的にビデオ通話が開始されるというのに……。

「コール、ジウハチ」

 もう一度、繰り返す。

「ん? コール、ジウハチ」

 アーム左側に取り付けられたタブレットモニタを見る。モニタも電源が落ちていた。

「コール、ナナ。コール、サン。コール、ジウハチ! 九鬼!」

 操作球を握り締め大声で呼んだが、私の声はエレベーター内に反響するだけだった。

「なんだ? 何が起きている?」

 操作球は反応しない。モニタも消えている。停電ならエレベーターの電気だけが消灯するはずが、全ての電子機器が消えていた。

 光がない。何も見えない。目を開けているのか、閉じているのかさえ分からなかった。自分の息遣いだけが耳に残り、やがて暗闇が張り詰めた。

「おい! 誰か!」

 壁を叩く。

 叩いても、叫んでも、誰かが来る気配はなかった。その内に、体の感覚までなくなっていくように感じ、私は何度も壁を叩いた。何もしていないと、冷厳たる暗闇に飲み込まれてしまいそうだった。まるで川面を流れる一枚の落葉のように、自由を奪われた私は、つらつらと流され、やがて深い淀みに吸い込まれていく。

 エレベーターに閉じ込められることがこんなにも不安ことだとは思っていなかった。

 周囲との繋がりを断たれることが、こんなにも恐ろしいことだとは思ってもみなかった。

 するとその時、暗闇の中で一台のスマートフォンが鳴動した。

 いや、鳴動した気がした。そういう音を聴いたのだ。暗闇のどこか、すぐ目の前のような気もするし、どこか遠くのような気もしたが、スマートフォンはずっと低い振動音を発していた。

 どこから聞こえてくるんだ?

 首を振っても漆黒の暗闇しか見えなかった。

 耳を塞いでも、音は鳴り続けていた。

 なんだ? 何が起きている?

 ここはエレベーターの中だ。しかも私はスマートフォンをもう何年も使っていない。

 幻聴だ。きっと幻聴に違いない……。

 気味が悪くなって、耳を塞ぎ、目を瞑っていると、瞼の向こうが急に明るくなった。

 電気が戻ったと思い目を開けると、暗闇に一台のスマートフォンが浮かんでいた。

 訳が分からなかった。幻覚を見ているのだと思った。それでもそれは、手を伸ばせば触れそうなくらいにはっきりと、暗闇の中で青白く発光していた。それにどうやら、低い振動音はそのスマートフォンから出ているようだ。

 私は恐る恐る手を伸ばした。

 すると音は止み、次の瞬間、私はスマートフォンを握っていた。

 見たこともないスマートフォンだった。

 一体、誰の物だろうかと思ったその時、明るい画面にメッセージが着信した。

 青白く光る画面に一通の未読メッセージ――。

 私宛てだろうか? いや、これは私のスマートフォンではない。

 嫌な予感はした。中を見てはいけないと本能が忠告していた。

 それでも本能に反して、私の指は画面に引き寄せられていく。ゆっくりと、画面に触れるか触れないかのぎりぎりの位置まで、人差し指が動いた。

 ふと指先が画面に触れる。

『おめでとう。あなたは英雄になった。アヤンクマル』

 画面に表示されたそれは、瞬時に私を鬱にした。

 葬り去ったはずの忌々しい記憶が頭にありありと蘇る。

「やめろ!」

 衝動的に発した声はエレベーター内に反響し、強風のように私に返ってきた。

 驚いて椅子の背に仰け反る私を、今度は強烈な頭痛が襲う。まるで複数のドリルで頭に穴を開けられているような、痛みよりも嫌悪感が勝る不快な頭痛だった。

「あぁぁぁ……」

 頭を抉るような激痛に吐き気が込み上げる。嘔吐しないよう口を押さえると、今度は脳味噌が石化したように頭が重くなった。それで頭を持ち上げると、また脳の一部が切り取られたんじゃないかと思うほど鋭利な痛みがやってくる。二つの痛みが、短い間隔で代わる代わるやってきて、気が狂いそうだった。

 すると、頭の中で誰かの声がした。

『マカを作りなさい』

 ゆっくりと諭すような男の声だった。

『マカを作ることが、あなたの使命なのだから』

 声が頭の中の痛みを増し、私は悶えた。

「うぅぅぅ……。やめろ、分かってる!」

 私は必死になってスマートフォンを手で追い払った。何度も何度も水を掻くように暗闇を掻いた。目を瞑っているのか、開いているのか、自分でも分からなかった。それをすれば頭痛が消える保証もここから抜け出せる保証もなかった。それでもとにかく、目の前の幻影を手で追い払うくらいしか私にはできなかった。それを続けていたからか、それとも偶然か、しばらくすると、天井に電気が戻った。同時に、壁のデジタルサイネージ、エレベーター内の電子表示灯が点灯した。そして私を飲み込もうとしていた暗闇は嘘のように消えた。

「今のは……?」

 鏡に愕然とした自分が映っていた。鏡の中の私は、息が上がり、両肩を押さえ付けられたように車椅子の背に凭れ掛かっていた。

「アヤンクマル……」

 心臓が早鐘を打っていた。

 頭にまだ、痛みの余韻が残っていた。

 ふと顔を上げると、電光表示灯の数字が動いていた。

 

『44』、『45』、『46』――。

 

 操作球を握ると、カチカチといつもの反応が返ってきた。

 まったく、くだらないことを思い出したものだ。年を取ると感傷的になって敵わない。

 大きく深呼吸を繰り返し息を整える。

 重要なのは過去ではない、未来だよ。なぁ、九鬼よ、そう思わんか?

「コール、ジウハチ」

 そして車椅子の向きを変えると、黒い硝子に赤く灯る『54F-1』をじっと眺めた。

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