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Photo by CherryLaithang

【第1回】ビエンチャンの虫博士

 早見凛太朗のもとに一本の電話が掛かってきたのは、いよいよ明日をもって退職となる前日のことだった。

 地上六十四階建てのスマートジェネティクスジャパン本社ビル――それは東京都心の一等地にすらりと空に向かってそびえ立つ。その十七階にある早見の研究室は、物が整理され、すっきりと片付いていた。

 空っぽになった計器棚。論文や書物が一つもないテーブル。床には段ボール箱にまとめた私物と社給品が置いてあり、窓際の机には電子秘書付きのタブレットモニタが置いてあった。窓から見える空は水色に澄み渡り、眼下には渋滞する車の列が見える。

 今朝は珍しく雪が降った。

 地球温暖化という言葉が死語となって十数年、東京で雪なんて見たことはない。当然、車はすべり、人々は雪を迂回して歩いていた。タブレットモニタから流れるAIニュースは、先ほどから雪のことばかり話題に上げ、早見もこの雪の中、どうやって私物を持ち帰ろうかと頭を悩ませていたところだった。そんな折に鳴り出した電話である。

「はい、スマートジェネティクスジャパン、生態遺伝学応用研究課、第三研究室です」

 早見はゆっくりと、淀みなく発声した。

 もう十年以上、口にし続けてきた言葉である。頭で考えなくても口が覚えている。

「もしもし?」

 ところが相手からの返事はない。それどころか、スピーカーからは獣の唸り声のような低い息遣いが聞こえてきた。

 はて、誰だろうか?

 いたずら電話だろうか?

 モニタに目をやると、知らない外線番号が表示されている。

 外線?

 人事や総務といった内線電話ならともかく、外線番号に心当たりはない。外注先とのやり取りは終えてあった。お世話になった取引先にはすでに退職の連絡をしてあったし、業務の引き継ぎは完了していた。他県にある支社や工場、研究所からの番号なら見覚えがあるはずだし、何よりも生遺研の受付を通さずに直接ここに掛けてきたことが気になる。

「もしもし?」

 もう一度問いかけてみる。

 が、やはり返事はない。それで通話を切ろうとした時、スピーカーから弱々しい声が聞こえてきた。

「早見……、先生……」

 驚きは油断している時に起こるものである。そしてそういう時にかぎって、驚きは小さくない胸騒ぎを連れてくる。相手が『先生』と口にしたということは、相手は自分を知っている人物になる。そしてその知り合いの様子がどうもおかしい。

「どちら様ですか?」

 早見が恐る恐る聞き返すと、数秒おいて、聞き覚えのある声が返ってきた。

「柴崎です……」

 その名を聞いて、早見は息をのんだ。

 柴崎とはつい二日前に会ったばかりだった。その時は特段に変わった様子もなく、むしろ顔付きが以前よりも明るくなったように感じて、すっかり安心していたところだった。それが今はどこか切羽詰まっているというか、なんというか、とても苦しそうだ。

「柴崎君? なんだか苦しそうだけど、大丈夫?」

 返事はない。しかしその間も荒い息遣いが聞こえてくる。

 これは何か大変なことが起こっているに違いない、そう思った時、柴崎が言った。

「先生……、助けて……」

 言葉の間に苦悶の鼻息が混じる。

「誰か……、口のカタい、医者を……、紹介……」

 そしてその口ぶりから、早見はそれが喫緊の用事であることをすぐに理解した。

「分かった。今、どこにいるんだい?」

「成田……」

「成田?」

 それにも返答はない。話すことさえ難しい状況なのだろうか。スピーカーからは苦しそうな息遣いが絶え間なく聞こえ、早見の頭には柴崎に起こり得る最悪の状況が浮かんでいた。長い間、鬱に苦しんだ人間が最後に取る行動というのは大体決まっている。

「分かった。今、調べて送るから、連絡先を教えて」

 早見は足元にあった段ボール箱からメモ帳を取り出すと、カリカリとペンを走らせていった。

 

 

 早見の本名は、キーオウィン・セーンサワーンと言う。

 日本の大学を卒業後に、日本人女性と結婚し、帰化した。早見は妻の性、凛太朗は幼少期のあだ名『リリー』から妻がつけた名である。

 

 早見はラオスの首都、ビエンチャンに生まれた。

 国土の約八割が山岳地帯のラオスにおいて、ビエンチャンはメコン川に近い平野部に位置する。町の北側には翡翠色の人口湖、ナムグム湖が広がり、東にはアンナン山脈、西から南にかけては、雄大なメコン川が流れていた。豊かな自然に囲まれた長閑な田舎町である。

 当時のビエンチャンの人口は約九十万人。現在の人口が約百二十万人であることを考えると、当時はまだ発展途上の小さな町だったことが分かる。今でこそ高層ビルが立ち並ぶ経済特区となっているが、五十年前は、街のいたる所で市場が開かれ、無舗装の道路を中古品のバイクが走っていたのだ。

 街には低層の建物が多く空が広い。建物は西洋風で、フランス植民地時代の名残が随所に見受けられた。一方で、街には自然に生えた樹木や街路樹が多く、何百年と続く壮麗な寺院や仏塔が点在する。

 そこでは、お香とバイクの排気ガスが混じり合う。

 ワインショップや携帯ショップの横で、メコンの魚や山の肉、生きたままの虫などの生鮮食品がやり取りされる。

 そこは、メコン川のように鷹揚な時が流れる場所。東洋と西洋、古いものと新しいものが混じり合う場所。それがビエンチャンであり、その中心には、家族があり、仏の教えがあり、自然への敬意があった。

 

 早見は十八歳の時に国費留学生として日本にやってきている。

 国費留学生というのは、日本の文部科学省が支援する奨学金制度である。誰でも受かるわけではない。高校における優秀な成績はもちろんのこと、高い経済力と日本語能力が求められる。その点、早見は幼少の頃から恵まれた環境に育ったと言っていい。早見の家はビエンチャンでも裕福な家で、幼少期から異文化に触れる機会が多かったからだ。

 早見の父親はいわゆる華人である。そのルーツを中国広東省の掲陽に持つ。父親は銅を取り扱う鋼業系の商社に勤めていて、海外への出張も多かった。伯父も同様に海外を飛び回っており、伯母はフランスに住んでいた。華人というのは、親族の数が多く、その結束が強いものであるが、それは早見の家も同様で、家には当然のように海外の本や土産物が置いてあったし、結婚式や旧正月などに親族で集まった時には、決まって海外の話で盛り上がった。

 中でも、早見が夢中になったのは、日本に留学していた叔父の話だった。日本では道路が空中で交差しているだとか、自動販売機が何台も並んでいるだとか、叔父の話し方が特別に面白かったというのもあるが、早見は叔父が大好きだった。早見が留学先に日本の大学を選んだのは、この叔父の存在が大きい。叔父は早見に日本語を教え、のちに父親が早見の日本留学に反対した時には、母親とともに早見を擁護し、後押しした。

 

 早見は幼少の頃から好奇心が旺盛な子どもで、特に虫に対しては異常な興味を示した。虫を食べる文化のあるラオスでは、虫は身近な存在である。バッタ、カメムシ、カブトムシ。蚕、タケムシ、蟻の卵。市場に行けば生きた虫が売られているし、虫を使った料理もたくさんある。早見はそういった虫を観察し、図鑑で調べては、気付いたことをノートに書き留める少年だった。夜眠りにつく前には、必ずこのノートを開いて、この虫とこの虫の違いは何だろう、どうしてこの虫はこういう姿になったのだろうと、思いを巡らせたものだ。

 ところがノートが一杯になり、その数も増えてくると、当然ながら分からない事柄も増えていく。姿形は似ているのに分類が異なる虫。分類は同じなのに生態が異なる虫。どうして、なぜ、疑問ばかりが頭に湧いた。しかし図鑑を見ても、インターネットを調べても答えは載っていない。その答えはもはや周りの大人たちにも分からない。ついには伯父の紹介で、ラオス国立大学の教授に会いに行った。早見が小学五年生の時である。

 そうやって虫に関する知識を蓄えていく早見を、周りは『小さな先生』とからかったこともあった。それでも早見の中の虫への興味が失せることはなかった。むしろその興味の対象は、やがて生物全般へと拡大し、ひいては生命に対する敬愛の情へと変化していくのであった。

 

 早見の大学での専攻は生物学である。中でも遺伝学に興味を持った。幼少の頃に抱いた疑問の答えは遺伝子の中にあると分かったからだ。

 大学での早見は非常に優秀な学生だった。学業成績はもちろんのこと、学習態度は真面目であり、尽きることのない好奇心は、時にエネルギー、時にリーダーシップとなり周りを引っ張った。外国人である早見を疎ましく思う学生も中にはいたが、早見は全く気にしなかった。もともと早見は、教室で一人、じっくりと図鑑を眺めているタイプの子だ。周りが気にならないと言ったら嘘になるかもしれないが、周囲の中で自分がどう見られているかよりも、自分が見ている世界がどうしてそうなっているか、そちらの方が気になる人間である。

 そんな早見を、いつしか周りは敬愛し、教授は大学院への進学を勧めた。

 そうして進んだ大学院では、ニホンザルの生態研究に励んだ。ニホンザルの進化・適応が遺伝学的にどのように起こったか、ニホンザルのどの遺伝子がどういった行動に影響するのかを研究したのだ。そしてこの研究が早見にとって人生の転機となる。この時に書いた論文が日本生態学会にて奨励賞を獲得したのだ。これは当時、外国籍の学生で初となる偉業であった。これだけでも十分に名誉なことであるのに、事はそれだけで終わらなかった。当時、研究費を助成していたスマートジェネティクス社から声が掛かったのだ。スマートジェネティクスジャパン――通称『エスジー』――後に遺伝子組み換え業界の雄となるバイオ創薬会社からのスカウティングであった。余談だが、当時のエスジーが外国籍の若者を採用することは稀である。このことからも、早見がいかに優秀だったかが窺い知れる。

 

 さて、優秀な人間というのは、自然とその周りに優秀な人間が集まるものだが、早見の学生時代の友人に、西田善道という医学の道を志す若者がいた。

 学生時代、早見はフィールドワークでよく奥多摩の方に出掛けていた。野生のニホンザルをタグ付けして観察するのだ。ただ、データを取って機材を片付けていると、帰りはいつも遅くなる。そういうわけで夜遅く寮に帰ってくると、一階のカフェテリアはすでに暗く、仕方がないから部屋でコンビニ弁当を食べるという日々がしばらく続いたことがあった。

 ある時、ゴミを捨てに一階に下りると、自習室が煌々と灯っていた。自習室は二十四時間利用できるが、試験期間を除くと、利用する学生は少ない。特に平日の深夜となれば、夜食を食べられる自室で勉強する学生がほとんどだった。ところが彼は自習室で勉強をしていた。普段、猿の行動を事細かに観察している早見からすれば、集団から離れた行動をする彼に興味が湧かないはずがない。

「どうして、ここで勉強をしているのですか?」

 早見は聞いた。すると彼は、まるで待ち構えていたかのようにこう言った。

「君、日本語、上手だね」

 早見が彼に興味を持ったように、彼もまた早見に興味を抱いていたのである。

 それから二人はお互いのことをよく話すようになった。そのうちに、夜遅く帰ってきて自習室に彼を見つけた時には、部屋に戻らずに自習室で食べるようになった。ただ自習室での飲食は禁止、見つかったらペナルティがある。その辺りは厳格にルールが守られていて、最悪、退寮もあり得た。しかし早見は、卒業するまで寮長からペナルティを言われたことはない。

 柴崎から「口の堅い医者」と言われた時、早見の頭に真っ先に浮かんだのが彼だった。

 

 

 西田の診療所は足立区千住にあった。

 駅から徒歩で二十分ほど離れた住宅街。

 新しい住宅が建ち並ぶその一角を抜けると、ひときわ威厳を放つ大きな屋敷が見えてくる。

 道沿いに続く高い塀。松葉の吹き溜まった瓦門。景観は堂々と風格がある。門を入ると、広々とした芝庭があり、道の両側では剪定された松の木が空を支えていた。

 ここは江戸の頃から続く庄屋の家である。

 松を潜ると右手に二戸前の土蔵。正面には瓦葺きの母屋、左手にはやや近代的な造りの離れがあった。元々は納屋や茶室といった離れ家もあったが今はない。その分、広大な敷地と庭が広がり、眺めは壮観だった。その近代的な離れの前に、五、六人の人の姿が見える。

 西田の診察を受けにやってきた患者であろう。皆、帽子やダウンジャケットなどの防寒着に身を包み、口元には白いマスクをしていた。例年であれば半袖の人もいるくらいに暖かい時期だが、今年はどういうわけか非常に寒い。吐く息は白く、土蔵の陰にはまだ少し雪が残っていた。そんな状況であってもこれだけの人が来ているところを見れば、西田がいかに地域から信頼された医師であるかが分かるだろう。コンビニで診察が受けられる時代である。外出が億劫であれば、近場のコンビニで事は済む。

 

 診療所の中は高齢者でごった返していた。

 診療所と言っても、中は十畳ほどのスペースをカーテンで区切っただけの簡素な造りである。壁沿いに並べられた椅子は診察待ちの患者ですべて埋まり、受付窓の前にも女たちが集まって話し込んでいた。入口の扉と南側の窓は開け放たれ、診療所の中をひんやりと冷たい外の空気が通り抜ける。天井ではファンヒーターが回っていたが、やはり肌寒かった。

 受付で名前を言うと、しばらく待つように言われた。

 特に何をするでもなく見上げた古い薄型テレビからは、今流行りのエスウイルスについてのニュースが流れていた。

「東京都は一日、エスウイルスの感染者が新たに八十六人確認されたと発表しました。都内で感染が確認された人は、これで二千六十九人となり、二千人を超えました」

 今年一月、長崎市で始まった原因不明の老化現象は、『シメイジングバイルス』という新種のウイルスによるものだと政府は公表した。

 シメイジングバイルス――のちにエスウイルス――と呼ばれるこのウイルスに感染すると、記憶力の低下、手足の痺れ、呼吸困難などの初期症状を発症し、発症後一週間から二週間で、五歳から六歳、年を取ると言われている。

 政府は今年一月、小中高等学校の臨時休校や国内交通網の一時停止などの対策を取ったが、感染拡大の波は収まらず、現在は全国のコンビニに遠隔診察ロボット『REMD』を配置して、誰でも無料で受診ができるようになっている。先月十一日には、国際港湾と主要国際空港の閉鎖を発表し、同時に東京、大阪、福岡などの主要都市圏に対して、今月末までの緊急事態宣言を発令していた。

 三月一日現在の政府発表の国内感染者数は約一万八千人。死者数は約五千八百人である。

 現在進行形で感染が拡大しているアメリカや中国、韓国などを含めると、感染者数は二十五万人ほどまで膨れ上がる。死者数で言えば約八万人だ。感染者のおよそ三人に一人が亡くなっているわけだが、特筆すべきは、感染者の九割超がGMC、つまり企業産の若者となっている点である。中でも特に人工胎生で生まれた『完全人工胎生児』の感染率が高かった。

「――高まるワクチンへの期待を受けて、日本医師会の小泉会長は、藤平厚生労働大臣と会談し、現在スマートジェネティクス社で開発中の免疫製剤『ザイン』に対する、柔軟な審査対応を求める要望書を提出しました。ザインは様々な感染症に対する抗体を含む薬剤で――」

 その時、カーテンの開く音がした。

 見ると、白衣を着た小柄な老人が立っていた。

 顔の半分を医療用のマスクで隠し、黒縁の眼鏡を曇らせている。頭の髪は薄く、目尻には笑いじわが残っていた。全体的に穏やかで優しそうな印象だが、容易に人を寄せ付けない、まるで老練な剣豪を前にしているかのような威圧感は相変わらずだ。

「ニシ……」

 早見が言うと、西田の目尻がほんの少し垂れ落ちた。

「ちょっと外で」

 曇っていた眼鏡が晴れ、西田の優しそうな目が覗く。

 西田は憂え顔で窓の外を見つめていた。

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