
富田先生
十一月の東京は柔らかな日差しに包まれていた。
ヘアサロンの看板はきらきらと陽光を反射し、空はどこまでも群青色に澄み渡る。空気は冷たく、通りの街路樹はまだ紅葉前の緑を枝に残していた。
今年は暖冬と言われていたが、ここ数日で一気に冷え込んだ。少し前まで夏日が続いていたなんて信じられないくらいの冷え込みだが、本来はこれくらいの気温が普通なのだろう。帰国して三度目の秋。何が正解かは分からない。
ただ、去年もその前も、秋がどこかへ行ってしまったように感じていたから、こうして秋を感じられるのは喜ばしいことなのかもしれない。夏の陽光と冬の冷たい空気。とても清々しい。両手をあげて体をうんと伸ばしたら、この頭の中にくすぶり続ける迷いも消えてくれそうな気がした。
外のテラス席に座って、通りをぼんやりと眺める。
日曜の正午――。通りは若者たちでごった返している。
五月にコービッドが五類に移行して以来、私たちはようやく元の日常を取り戻し始めた。今は多くのお店が通常営業に戻り、入店時の検温やアクリル板も撤去されているところがほとんどだ。まだマスクを付けている人は半分くらいいるが、もはや誰も気にしていないように感じる。三密という言葉も、最近ではめっきり聞かなくなった。
ガラガラっと、大きなスーツケースを引く音が聞こえてくる。
海外からの旅行客だろうか。目の前を通り過ぎていく彼らは、大きな荷物を背負って、陽気に笑ったり、動画を撮ったりしていた。
薄手のコート、オーバーサイズのフーディ、ニットのワンピースドレス。通りを行く人々は皆スタイリッシュで、休日のお出かけとお買い物を楽しんでいるように見える。落ち着きのある画廊の前で立ち止まる人、雑貨屋の店先で商品を眺める人、お洒落なカフェで食事とワインを楽しむ人。香ばしいガーリックチキンの香り。スパイスの効いたカレーの匂い。そして胸が空くほどに高い青空。これだけたくさんの誘惑を前にしたら、私だって、大谷選手の活躍とか、麻布台ヒルズの開業だとか、もっと明るい話題を考えたい。
テーブルの上には、クリアファイルに挟まれた書類とテイクアウトした珈琲の紙カップ、そして黒く消灯したスマートフォンがあった。
その冷たくなったスマホを手に取って、電話アプリを開く。
履歴には『+65』から始まる海外からの着信がたしかに残っていた。
私はどうすればいいのだろう?
数分前に切った通話の余韻が胸を締め付ける。
「平山くん?」
詐欺を疑いながらも出た電話から聞こえてきたのは、意外にも日本語だった。その時点で、アメリカ時代の知り合いかもしれない可能性は消え、私は思わず固まった。
「誰ですか?」
「富田です」
そして相手の名前に、私はスマホを落としそうになった。
「君の力を借りたい。今、いいかな?」
◇
私が富田先生と知り合ったのは、四年前の冬、二〇一九年の十二月頃だ。
その頃の私は、UCサンディエゴでポスドクをしていて、新たな研究課題を探していた。自分の力試しではないが、自分のやっていることがどこまで安全に適用できるのか、実際の症例を用いた、より実用的な研究対象を模索していたのだ。
当時、私が行っていた研究内容は、クリスパーキャス9を用いた遺伝子編集の精度とオフターゲット検出手法。クリスパーキャス9はDNAの特定の位置を切断して書き換える革新的な遺伝子編集技術だが、稀に本来の目的とは違った箇所を誤って切断してしまうことがある。私の研究は、その切り間違い――オフターゲット――をどうしたら起きにくくできるか、そしてもし起きてしまった時に、どうしたら確実に見つけ出せるか、その方法を探ることだった。
ただ、実験で編集対象としていたのは、あくまで培養細胞や、マウスやゼブラフィッシュなどのモデル生物で、本来はもっと複雑なヒトゲノムとは配列に違いがある。つまり、いくら実験室で上手くいったとしても、同じ手法をヒトに対して安全に応用できるかはまた別の問題だった。私が念頭に置いていたのは、あくまで実際に病気で苦しんでいる患者さんたちであり、彼ら彼女らを救うには、よりヒトに近い遺伝子を持つ対象で、繰り返し、安全性を確認する必要がある。安全性――すなわち、遺伝子の編集を行う過程で、確実に切り間違いを減らし、たとえ切り間違いが起きたとしても、それを影響のない範囲内に収める、それがゴールだ。ここで間違えないでほしいのは、治療の対象はヒトの『体細胞』であって、生殖につながる『胚』ではないということ。胚のゲノム編集は次世代にまで影響が残るため、アメリカでは法律で禁止されている。
そんな時に、担当の教授――プロフェッサー・ウィットモア――から紹介されたのが、富田先生だった。
東亜共栄医科大学の医学部教授、そして同大附属のゲノム医療センター(GMC)の副センタ―長――その肩書を聞いただけで、私は恐縮した。東亜共栄医科大学と言ったら、日本屈指の医科大学だ。しかも東共医大のGMCは、世界的にも有名なゲノム医療の研究機関でもある。でも初めて先生とビデオ通話をした時、その緊張は思いのほか早く解けた。
「どうも初めまして、東亜共栄医科大学の富田です」
ぼさぼさに乱れた七三の髪。年代物の古めかしい眼鏡。眼鏡の縁には長い眉毛がかかって、右頬には一円玉くらいの染みがあった。髪にはところどころ白髪が混じって、画面の向こうでにこにこと微笑む先生は、人の好さそうな年配の紳士に見えた。
「ヒューストンで、ドクター・ウィットモアからお話は伺っています」
話し方もゆっくりと穏やかで、誠実な研究者といった印象だった。背後にはびっしりと書籍の詰まった本棚が見え、椅子の背にどっぷりと寄りかかる白衣の下には、無地のトップスが覗いていた。あまり外見を気にしないタイプなんだろう、そう思った。
「初めまして、平山です。よろしくお願いします」
私がそう言ってから一礼すると、先生はほんの少し目を大きくして頷いた。驚いたようにも見えたが、気に入ってもらえたのかなと、そんな風にも感じた。
「平山さんは、オフターゲット予測を専門にされているとのことで、今、うちで動いている研究に、あなたの力を貸してもらえたらと」
「ゲノム編集精度の検証、という理解でいますが」
「ええ。今、うちでは免疫不全のコモンマーモセットモデルを持っています」
その瞬間、私は小さく息を呑んだ。
「マーモセット……」
「はい。原因遺伝子をノックアウトして、ヒトのアルテミス欠損症に相当する免疫表現型を再現したものです」
なるほど、免疫不全のマーモセットとは、アルテミス欠損症を再現したものらしい。アルテミス欠損症は、遺伝子の異常によって免疫細胞が作れなくなる先天性の疾患だ。
「アルテミス欠損症……、はい」
「次の段階として、今度はその遺伝子を修復してやりたい」
「ということは、原因遺伝子を修復して、実際に免疫機能が回復するかを検証したいと、そういうことですね」
「その通りです。ただ、それをした際に、別の場所を傷つけていないか、うちにはそこまで厳密にオフターゲットを検証できる人間がいません」
つまり、こういうことだ。富田先生の研究チームは、遺伝子改変により意図的に免疫不全としたマーモセットモデルを持っている。その免疫不全マーモセットに対して、今度は原因遺伝子をクリスパーキャス9で修復し、実際に免疫機能が回復するかを検証する。私の役割はおそらく、この修復用のガイドRNAの設計と、修復処置を受けたマーモセット個体のゲノムに意図しない変異が起きていないか、網羅的に検証することだろう。
私は顔には出さなかったが舞い上がっていた。共同研究の内容が、ずばり私の専門分野だったのは言うまでもなく、編集対象がマーモセットだったからだ。マーモセットはマウスよりもヒトとの進化的分岐が浅い、つまり、よりヒトに近いゲノム配列を持っている。
「培養細胞ではなく、実際の個体で確認したいということですね? マウスではなく、マーモセットで」
「はい。ヒトへの応用を考えた時、マウスのデータでは説得力を持たせられない場面が出てきます。あなたの論文を読ませていただきましたが、既存の予測ツールだけに頼らない、独自の検証手法に興味を持っています」
研究費や実績のために不正を行う研究者は少なからず存在するが、先生からはそういった雰囲気がまったく感じられなかった。初対面であっても、相手の言葉の裏にある思考や感情は、ある程度、直感的に読み取れるものだ。先生は理論で終わらせるつもりはなく、その先の治療を見据えている、そう思ったし、自分と考え方が似ているなと思った。同じ理念を共有した研究者と一緒に仕事できることが素直に嬉しかったのだ。
「対象の個体数と、すでに得られている解析データを見せていただくことは可能ですか?」
「もちろんです。今日中に送ります。率直に伺いますが、興味を持っていただけましたか?」
「はい。すでに発症している個体を実際に治療して、その安全性まで確かめるという研究には、なかなか出会えないので」
先生は嬉しそうにうんうんと頷いていた。
私にとっても、この研究の持つ意味は大きかった。より実用的な環境で、体細胞治療の安全性を試す最良の機会だったからだ。
「ではまた、データを見たうえでご連絡します」
「よろしくお願いします」
こうして、富田先生との共同研究が始まった。
GMC側とデータの受け渡し方法や解析範囲を定めた覚書を交わし、マーモセットの系統情報やこれまでの解析結果を受け取ったのが十二月上旬。そこから大急ぎで、私が持っている解析パイプラインをマーモセット用に組み直した。境界条件やフィルタリングの基準など、扱う生物種が変われば、解析ツールのパラメータを一から調整し直さなければならない。これが地味に根気を要する。マーモセットの参照ゲノム配列はヒトほど整備されていないからだ。空白の部分が残っている不完全な地図を想像してほしい。リスクを避けるためにも、空白の部分は一つ一つ手作業で裏を取る必要があった。これをやるのとやらないのとでは、その後の作業効率がまるで違う。私は、検証環境を準備するだけに、十二月を丸々費やした。
そうして年が明けると、いよいよ修復用ガイドRNAの設計に入った。複数の候補を設計し、それぞれについて、マーモセットのゲノム上でオフターゲットが起こり得る箇所を計算した。そしてリスクの低い順に候補を絞り込み、それらをGMC側に送付した。すると二月になって、GMC側で行われた予備実験の結果が届いた。培養細胞を使った切断効率の確認だ。そのデータを解析し、最終的にどの候補を実際の造血幹細胞へ使うか、GMC側との協議は続いた。