
東亜共栄医科大学付属ゲノム医療センター
自宅待機期間明けの三月一日、私は満を持して外へ出た。
出勤初日。化粧はしたし、マスクもした。用意したスーツは、アメリカンサイズで少しぶかぶかだったが、学会や研究発表会などで愛用していたスーツだったから、その当時を思い出して一層気合が入った。とりわけ二週間も家に閉じ込められた後には、外に出れること自体がちょっとした冒険だった。細い路地。張り巡らされた電線。様々な種類の標識。そしてワンブロックごとにある自販機とコンビニ。目に映るすべてのものが新鮮だった。アメリカに初めて渡った時も同じような感覚だったが、あの時はアメリカの『大きさ』に圧倒された。今回は違う。私は日本の『繊細さ』に感動した。ゴミ箱はないのにゴミがなくて、人々は常に自分以外の誰かのことを気にかけていて、人々の歩く速さも、皆が左に寄るエスカレーターも、ホームに距離を空けてきちんと整列する人の姿も、ぜんぶ日本らしいなと思った。もちろんアメリカにはアメリカの、日本には日本の良さがあると思うが、これが当たり前の社会は素晴らしい。そしてそういう人達と同じようにマスクをして列に並ぶ自分は、とりあえずは上手く社会に溶け込めているのかなと思った。マンションに籠っていた間は、ずっと、自分だけが社会の流れから取り残されたように感じていたから尚更のことだ。
ただ、そうは言っても、一番感動したのは、やはり研究所のビルだろう。
全面硝子張りの見上げるほどに高いビル。何階建てかなんて分からない。まるで空を支えているような高層ビルの前には、噴水と植栽を配した石張りの広場があり、その木陰のベンチに座って休憩しているお爺ちゃんお婆ちゃんの姿もあった。噴水の傍にはDNAを思わせる二重螺旋のモニュメントが立ち、その手前には『東亜共栄医科大学附属ゲノム医療センター』と彫られた立派な石碑がある。竣工年は二〇一四年。まだ七年しか経っていない新しいビルだった。
私は眼前に広がる洗練された光景に圧倒されて、しばらく動けなかった。私の横を男の人が通り過ぎて初めて、ああそうか、私もここの職員なのだと思い出したくらいだ。私は鞄を握り直すと、広場を横切って建物の中へ入っていく男の人を追った。
男性に続いてエントランスの自動ドアを抜けると、中はさらに壮観だった。
まず目に飛び込んできたのは、思わず足を止めてしまうほど広々と開けたロビーだった。天井は吹き抜けになっていて、頭上から明るい自然光が降り注いでいた。床は光沢のある人工石。つるつると滑りそうだが、表面は意外と摩擦があって歩きやすい。右手には受付カウンターがあり、左手にはこの研究所がこれまでに受賞した数々の賞や写真が展示されていた。さらにそれらの奥には、二階へと続くエスカレーターと階段が見える。二階はロビーを見下ろせるゲストラウンジになっているようで、机や椅子、大型ビジョンのスクリーンが少しだけ見えた。来訪者と職員の動線が明確に分けられた近代的な造りだ。正面には駅の改札にあるようなセキュリティゲートが横一列にずらりと並んで、その奥には間接照明に照らされた優雅なエレベーターホールが見えた。あまりに綺麗で、そしてあまりに静かで、どこか有名な高級ホテルに来たような錯覚を覚えるが、バレットもベルスタッフもいない。ここは、国内最先端のゲノム研究が行われている研究所なのだ。
自動ドアを抜けたところで立ち止まっていた私を避けて、人々が正面のセキュリティゲートに向かっていく。
私も、皆がするように検温と手指の消毒を済ませ、右手にある受付カウンターに向かった。
受付で自分の名前と所属を伝えると、ここでしばらく待つように言われた。
こつこつと早足で通り過ぎていく人々を見ていると、自分もここで働くのかと、まだ信じられない気持ちがこみ上げた。自分がここの研究員だという実感はなく、ただ胸の高鳴りだけがあった。まるで新しい水槽に入れられた魚の気分だった。思う存分泳ぎたい気持ちはあるが、どこを泳いでいいか分からない。
そうやってきょろきょろと建物内を見ていると、やがてゲートの奥から富田先生がやってきた。そしてもう一人、先生の隣には、臨床検査技師の指原さんの姿もある。臨床検査技師というのは、実際に検体を手にして、標的を絞ったシーケンシングを実施する人だ。本業は病院の臨床検査部で患者の血液検査やPCR検査などを行っているらしく、この時は本業のPCR検査で忙しいのか、眉間に皺を寄せ、不機嫌そうな顔をしていた。前回のミーティングも先日の自己紹介の時もそうだったから、この人はいつもそうなのかもしれない。
「よく来たね。道は大丈夫だった?」
先生はやってくるなりそう言って、私の目を見つめてきた。マスクで口元は見えなかったが、一円玉くらいの頬の染みが歪んで見えるほど、にこにこと嬉しそうだった。指原さんとは対照的に、すべては順調に進んでいる、そんな安心感を与えてくれる笑顔だ。
「はい。東京は初めてなので少し緊張しましたが、新鮮でした」
「新鮮な気持ちは良いことだ。違った見方ができるからね。さあ、中を案内しよう」
先生はそう言うと、くるりと背を向けてゲートへ向かっていった。
想像以上に小さい先生の背中が、これからの濃縮された実務を予感させる。
いよいよだ。ここから私の新しい人生が始まる。
期待もあったし、不安もあった。高校まで日本で育ったとはいえ、私は人生で最も感受性の豊かな時期をアメリカで過ごしている。敬語はうまく話せるだろうか。私の知識はどこまで通用するだろうか。皆とうまくやっていけるだろうか……。
指原さんを見ると、やっぱり気難しそうな顔をしていた。ここまで一言も話していない。人見知りするタイプなんだろうか。マスクのせいで、時折白く曇る眼鏡が、執刀直前の外科医みたいで話しかけづらかった。溜息こそないが、舌打ちが聞こえてきそうな雰囲気だ――そんなことを考えていたら、先生が言った。
「入館証は持ってきた?」
「はい?」
「ICカード」
「あ、はい、持ってきました」
「ちゃんと動くか確認するから、そこに当ててみて」
先生の視線の先にはセキュリティゲートの認証装置があった。駅の改札口にあるタッチパネルと似たものだが、こちらは黒い液晶部分が硝子コーティングされていて、もう少し近未来的だ。
バッグから取り出したICカードを当てると、ピッと音が鳴って、正面にあった透明な扉がぱたんと開いた。
「うん、ちゃんと動いてるね。お先にどうぞ」
先生に言われて、私はゲートを通り抜けた。幅は思ったよりも広い。車椅子でも難なく通れそうだった。
ゲートの先には、先ほどロビーから見えたエレベーターホールがあった。壁が木目調に装飾されていて、暖色のLEDライトと合わさって、温かく柔らかい印象を受ける。左右には緑の植物や花が飾られていて、堅苦しい研究所というイメージからはほど遠い。正面突き当たりには二基のエレベーターが並び、近くの壁にはこの研究センターの歴史が写真と文章で飾ってあった。建物の竣工は二〇一四年と外の石碑にはあったが、研究センター自体はもっと古いようだ。
「平山くん、こっちこっち」
先生に呼ばれて、私はエレベーターに乗り込んだ。
エレベーターの中は思ったよりも広かった。十人以上乗れるだろうか。正面には大きな鏡と手すりがあり、天井の隅には監視カメラが付いていた。ドア横には階数ボタンが並び、その脇には非常用のインターフォンが設置されている。アメリカのモールなんかでもよく見る普通のエレベーターだ。
「二階は一般にも開放されているフロアね。カフェとかコンビニがある。ちょっと休憩したい時なんかにはちょうどいい。あとで二階に行ってみるといいよ」
「分かりました」
「うん、じゃあそうだね、まずは三階を案内して」
先生は指原さんに向かってそう言うと、私に微笑んだ。
どうしたのかなと思っていたら、どうやら先生はそのまま他の階に行く様子だった。やがて三階に止まって扉が開いても、先生はエレベーターの中に残っていたからだ。
「じゃ、あとはよろしく」
そう言って先生が視線を下げた時、エレベーターの扉が閉まった。
なんだか少し心細かった。ここからは指原さんと二人きりらしい。
「じゃ、行きますか」
指原さんは面倒くさそうにそう言うと、一人で先に行ってしまった。紺色のスクラブが背中にぴったりと張り付いている。まったく視線を合わせてくれないから、嫌われているのかなとも思ったが、きっと私のために仕事を抜けて来てくれたんだろうと思うと、申し訳なさが勝った。
三階は職員用のフロアのようだった。ロッカールームやトイレ、ダイニングホールなど色々な共用施設が整備されていた。研修室や会議室、喫煙室や仮眠室もあった。感心したのは、フロアに入るにもICカードが必要だったことだ。エレベーターで三階に来ることはできても、職員以外は入れない仕組みになっていた。おそらくは他の階も同様なのだろう。その階へのアクセス権がなければ、エレベーターホールより先には行けない。
指原さんは案内中、ほとんど喋らなかった。「ここはロッカールーム」、「ここはトイレ」、そうやって必要最低限のことしか口にしなかった。私が聞けば答えてくれたが、やっぱりやる気というか、ホスピタリティは感じられなかった。印象的だったのは、喫煙室の前まで来た時に、「ここは喫煙室、って吸わねえか」と笑ったことだ。それまで私に対する話し言葉は丁寧だったが、普段はもっと砕けた言い方をするんだろうなと思った。
それから私たちは各階を見て回った。四階から上は研究フロアになっていて、四階は共同の実験フロア、五階は分子細胞研究部、六階は機能ゲノミクス研究部といった具合に、部署ごとにフロアが分かれている様子だった。私が所属するゲノム情報解析部は七階。八階から上は、臨床系や医療系の高度管理区域で、私のカードでは入れない区域とのことだった。十一階だけは例外で、そこには総務や人事などの事務部門があるようで、指原さんから、今日帰る時に総務に寄るように言われた。自宅待機期間中に記入した各種誓約書や法務関係の書類を提出しろと、そういうことらしい。なんだかんだ言って、抜け目がない。一見すると冷たく見えるが、逆に仲良くなったら、話しやすそうだなとも思った。
七階に着くと、指原さんは私に先に行くように促した。
エレベーターを降りたホールの先に、厳重に施錠された硝子扉があった。横の壁には黒い認証装置が埋め込まれている。私のICカードがちゃんと認証されるか確認しろと、そういうことだろう。
私は硝子扉に近づいて、認証装置に自分のICカードをかざした。
すると、ブーと耳障りなブザー音が鳴って、扉のロックが解除された。
「よし、じゃ中へどうぞ」
指原さんに言われるがまま、私は恐る恐る硝子扉を明けた。
中は想像以上に静かだった。
目の前に長い通路が一本まっすぐに伸び、その両側に硝子張りの研究室がいくつも並んでいる。床は乳白色のビニル床。天井は思っていたよりも高く、等間隔に並んだLED照明が通路を均一に照らしていた。
「へえ、すごい……」
「慣れるとそうでもないですよ」
そう言って、閉まったはずの硝子扉を手で押して確かめている。と、またブーとブザー音が鳴った。びっくりして肩をすくめた私を見て、指原さんが笑っている。
「すみません」
「最初はみんなそうなる」
歩き出す指原さんを追って、私は通路の両側にある部屋を見て回った。
入口で見た時には、ぜんぶ硝子張りかと思ったが、中には壁で仕切られている部屋もあった。硝子張りで中が覗けるところでは、何人かが机に向かって作業している。一方で、壁で中が見えない部屋は認証装置付きの扉で閉ざされていた。よりセキュリティレベルが高い部屋なのだろう。
「ここは会議室。そんでこっちは解析室。覚えといて。あなたも使います」
そう言って、指原さんは一つだけ飛び出していた椅子を机の下にそっと戻した。
さすがは検体を日常的に扱っている臨床検査技師か。厳格で几帳面だ。
「部屋を使うのに予約とかは必要ですか?」
「会議室だけ。実験室と解析室は自由に出入りしてもらって大丈夫」
「予約はどうやって……」
「ⅮⅮでできるよ」
「ディーディー?」
「イントラネット。入れたんでしょ?」
「あ、ああ」
データアンドディスカバリーと呼ばれるイントラネット。たしかに初日に自宅から接続した。ただの社内ポータルサイトだと思ってあまり気にしていなかったが、なるほどそういう使い方ができるのか。
「分かりました」
私は、硝子の向こうに見える研究員に将来の自分の姿を重ねながら、指原さんについていった。
通路を曲がってしばらく行くと、指原さんが突然、足を止めた。
そこには縦長の取っ手が付いたスライド式の扉があった。隣の壁には黒い認証装置が付いている。
「すごいセキュリティですね」
「一応ね」
認証装置に持っていたカードを近づける。と、ピッと音が鳴って開錠したのが分かった。
「どうぞ」
恐る恐る扉を開けて中を覗く。
「失礼します」
研究室の中は想像以上に狭かった。建物自体は大きくて立派なのに、その部屋は大学の研究室のようなコンパクトな造りになっていた。床は制電性仕様の特殊な樹脂床材。天井は白いパネルで埋め尽くされて、ところどころに配置されたLED照明が部屋の中を均等に照らしていた。手前に実験機材の載った台、奥にデスクが固まって、傍にミーティングスペースらしきところも見える。通路側の壁沿いには書類の入ったキャビネットが何個も並び、一つ一つのデスクの上には、大きなモニターが塀のように連なって置いてあった。窓の外に見えるのは隣接する大学病院だろうか。一か所だけ開いたカーテンの隙間から、古い造りの大きな建物と広い駐車場が見える。
「ここがあなたの研究室。いつ来てもいいし、いつ出てもいい。最後に出る時だけ、ここの電気ね、忘れずに」
指原さんは傍にあった壁のスイッチをカチカチとやった。
するとその明滅に答えるように、奥のデスクから「うわぁ!」と悲鳴が上がる。
びっくりして目をやると、木田さんが立ち上がってこちらを見ていた。
木田さんはエンブリオロジスト、胚培養士だ。体外受精で使う卵子への精子の注入が本業だが、このプロジェクトでは、私が設計したガイドRNAとCas9タンパク質を組み合わせた、ごく微量の編集試薬を、受精したばかりの一つの細胞に注入する。やっていることは同じ。顕微鏡の下で、髪の毛よりもずっと細い硝子の針を操って、寸分の狂いもなく命の芽を届ける。とても繊細な業務だが、本人は笑いながら、「僕、昔から針に糸を通すのだけは得意だったんですよ」と自己紹介の時に言っていた。飄々としていて、人懐っこい。私と年が近そうな若者だ。
「なんだあ、カツミさんかあ。びっくりさせないでくださいよ」
木田さんは口を半開きにしたまま、へらへらと笑っていた。
「木田!」
「はい!」
「新しい子来たから、中、案内してやってくれ」
「はい!」
木田さんは何やらデスクの上を片づけた後、のしのしとこちらに向かってやってきた。
初めて対面で見た木田さんは、想像以上に大きかった。背は私の倍あるんじゃないかってくらい大きくて、体もむちむちと太っていた。紺色のスクラブがはち切れそうだ。
「あの……、そうですね、何が知りたいですか?」
木田さんは頭を掻きながら、苦笑いを浮かべていた。
話し方はおっとりと優しい感じがするが、見た目だけで言えば、まるで人の言葉を話す熊みたいだ。
私は木田さんと研究室の中を回りながら、疑問に思ったことを一つ一つ聞いていった。キャビネットにある書類はどういったものなのか。実験機材は自由に使っていいものなのか。デスクにあるパソコンは共用のものなのか。守らなければならないルールや注意点はあるか。木田さんは、それら一つ一つに丁寧に答えてくれた。キャビネットにある書類は、過去の研究データであり、自由に見ていいだとか、シーケンサーを使う時には野坂さんに一言言うだとか、エアコンは換気のためにつけているから切らないだとか、色々と教えてくれた。また、パソコンについては共用だが、空いていれば自由に使っていいとのことだった。そして今の時期は出勤制限が出ているから、基本的には空いているとも教えてくれた。私が支給されたノートパソコンと何が違うのかを尋ねると、ここのパソコンからしかアクセスできないサーバーがあると教えてくれた。患者由来の遺伝情報など、機密性の高いデータのことだ。だから、そうしたデータを使う詳細な解析をする時には出勤する必要があると、そういうことだった。
「他になにかありますか?」
一通り説明が終わって、木田さんは私を見下ろした。
「いえ、とりあえずは大丈夫です」
「いきなり質問あるかって言われても困っちゃいますよねえ。僕も小さい頃、先生に質問あるかって言われても手挙げない子どもだったから。まあ、なにかあれば、都度、聞いてください」
ごうごうと風を吹き出す空気清浄機の前で、木田さんの髪がコミカルに揺れ動いていた。なんというか、ところどころ面白ポイントがあって、体は大きいのに、不思議と威圧感はない。これで胚培養士だと言うのだから、きっと手先は恐ろしく器用なんだろう。
「はい。ありがとうございます」
私はそう言って、空いていたパソコンの前に座った。
ちょうどいい高さの椅子。見やすい大きさのモニター。静かで、清潔で、エアコンもあって、研究環境は申し分なかった。周りの人にも私が苦手とするタイプはいないし、副センター長の富田先生だっている。これからここでやっていけそうな感触は十分にあった。ただ、私の業務はPCを使った計算が中心だ。今のこのパンデミックの状況を考えれば、しばらくは在宅勤務になりそうだった。そうは言っても、今日こうして指原さんや木田さんと対面で話せたことは大きい。今後、リモートで話す時には、前よりも話しやすそうだと思った。
そうして私はほとんど誰とも会わないまま、画面越しの打ち合わせだけで日々を過ごしていった。
時間がある時には、船便で届いた荷物の荷ほどきをしたり、日用品や食料の買い出しをしたり、日本での生活を少しずつ整えていった。国内スマホの契約や美容院の予約、銀行や役所での諸々の手続き、帰国したとはいえ、二週間外出禁止だったから、やらなければならないことは意外とあった。
週に一回、出勤する際には、木田さんや指原さんとサンプルや検査結果の打ち合わせを行い、リモートでは伝えづらかった細部のすり合わせをした。
週末には、アメリカ時代の友人たちとリモートで飲んだり、家で映画を観たりした。朝には散歩にでかけ、夜にはピラティスで体を整えた。
毎日が充実していた。
ポスドク時代よりもお給料は増えたし、日本での生活にも慣れて心に余裕が生まれていた。
『症例一番』の誕生の報を聞いたのは、そうした矢先のことだった。