
症例一番
その日、私は指原さんからの頼まれごとで隣接する大学病院に向かっていた。
診療情報管理室に余剰胚提供の同意書原本を取りに行ってほしいとのことだった。
病院に行くのは初めてだったから緊張していたが、指原さんから「これからも行くことになるから」と聞いて、私は腹を括った。どうせ何度も行くことになるのなら、相手の顔や場所を覚えるうえでも早めに慣れておいた方がいい。私は指原さんが用意してくれた申請書類を持って病院へ向かった。
大学病院はGMCの先進的なビルとは対照的に古い建物だった。八十年代、もしくは九十年代に建てられたと思われるベージュの外壁は経年劣化で色が褪せ、コンクリートには所々黒い染みが残っていた。全体的に中学校の校舎みたいな印象で、各階には窓がついており、カーテンが開いているところでは中の様子がよく見えた。その時も私は、窓際で作業している看護師さんの姿を遠目に見ながら、GMCと病院を繋ぐ連絡通路を歩いていた。すると前から歩いてくる二人の看護師さんたちの会話が耳に入った。
「――だからあそこだけ決まった人しか入れないんだって」
「へえ、そうなんだ」
「なんかちょっと変わった子らしいよ。生まれつきなにか抱えてるって、師長が言ってた」
二人は談笑しながらこちらに向かって歩いてくる。
「普通の出産じゃなかったんでしょ?」
「分かんない。でも元気に生まれてくれたんだから良かったよね」
「ね、ほんとそう」
「あれ、名前、なんか特殊だったよね?」
「そうそう、症例一番」
思わず、足が止まった。
症例一番? 何の症例だろうか?
「それ。ちゃんとした名前付けてあげればいいのに。なんか検体みたいで嫌じゃない?」
「ねえ。でもこれからお母さんが付けるんじゃないの?」
「そっか」
通路を渡っていく二人の後ろ姿を見て、私はなにか特別な子が生まれたんだろうと思った。病院には産婦人科もある。すべての子が健康に生まれてきてくれればいいが、そうでない場合だって当然ある。そのための総合病院だ。そういうこともあって、この時の私は、病院ではよくある症例の一つだったんだろうと思っていた。症例一番という呼び名はたしかに頭に残ったが、それ以上は特に気にもしていなかったのだ。
ところが四月になって、またその名前を耳にする機会があった。
その日は、たまたま先生が研究室に顔を出したから、先生と木田さんと三人でそれぞれの進捗を確認していた。先生は終始、額に手を当てたり、貧乏揺すりをしたり、どこか落ち着かない様子でいたが、私は、先生のことだから、きっとまた倫理委員会と揉めているんだろうと思った。先生はああ見えてけっこう我が強い。先月も年次報告の書き方か何かで委員会にずいぶんと噛み付いたようで、先生には珍しく語気を強めて非難していた。
でもしばらくすると、先生はまた落ち着かない様子で研究室を出ていってしまった。それで仕方がないから休憩でも取ろうかと、私は木田さんと三階にあるダイニングホールへ移動することにした。この頃には木田さんともだいぶ打ち解けて、色々と話すようになっていた。どうして胚培養士なんてニッチな職業を選んだのかとか、昔から体は大きかったのかとか、そういう他愛もない世間話だ。木田さんは体が大きかったから、一緒にいて守られているような安心感があったし、少し気の抜けた態度だったり、仕草だったり、可愛いところもあって、どことなく弟と話しているような気楽さがあった。でもそうやってホールの隅で木田さんと軽食を取っていた時だ。奥のテーブルから誰かの会話が聞こえてきた。
「聞いた? 症例一番の子、容体が急変したらしいよ」
「聞いた聞いた。生まれつき難病を抱えてたんでしょ?」
「いや治療はしたけどうまくいってないっぽい。全身に腫瘍が広がっていく病気なんだって」
「えぇ……、可哀そう……」
私はビスケットに伸ばしかけた手を止めた。
木田さんに目をやると、木田さんはパーティションの向こうで、バナナを手に口をもぐもぐとやったまま話を続けていた。
「――抗酸化作用のあるものが結構多いじゃないですか。細胞って酸化ストレスに弱いんで。けっこう馬鹿にできないんですよね。平山さんもフルーツ食べた方がいいですよ」
「木田さん」
「はい」
「症例一番って、知ってます?」
私が聞くと、木田さんはもぐもぐとやっていた口元をぴたっと止めて私を見た。それからすぐにまたもぐもぐとやり始めると、ごくりと飲み込んでから言った。
「いや、分かんないです」
そして天井を見上げたり、背後に目をやったり、きょろきょろと首を動かす。
明らかに何かを知っている様子だった。でも私には教えてくれないようだ。
「そう、でね、僕、ほんとはリンゴが好きなんですけど、今日はあえてバナナにしたんですよ。僕、学生時代にほんとバナナしか食べてない時期があって――」
木田さんはずっと喋りっぱなしだったが、私の頭の中では『症例一番』という言葉がぐるぐると回っていた。容体急変、生まれつき難病、全身に腫瘍――不安になる言葉ばかりだった。連絡通路で看護師さんたちの会話を聞いてから、まだ一ケ月も経っていない。私は木田さんの話を上の空で聞きながら、頭の中で見知らぬ赤ちゃんが砂のように崩れていくのを眺めていた。
そんなある日、私はまた診療情報管理室に行く用事があって病院を訪れた。
診療情報管理室は本館の端にあるのだが、そこは特別病棟と呼ばれる厳重管理区域に隣接した位置にある。病院は建物の増改築を繰り返していて、特別病棟も近年になって新しく増築されたエリアだった。統一感よりも機能性を優先した実務的な造りと言っていい。ただし増築されたエリアにはセキュリティレベルの高いところもあって、特別病棟もGMCビル同様に、出入りできる人を扉の認証装置によって厳重に管理していた。もちろん私にアクセス権はない。
その日、私は診療情報管理室へと続く長い廊下を歩いていた。
本館の廊下は薄暗く、私はあまり好きではなかった。天井が低くて圧迫感があるし、廊下の両側にある年季の入った手すりを見ていると、なんだか自分が病人になった気がして嫌だった。廊下に漂うつんとした消毒液の匂いにはいつまで経っても慣れなかったし、ビニル床が所々膨らんでいるのも気持ち悪かった。だからここを通る時には、できるだけ息を吸わないようにする。下を見ないように顔を上げて、前だけを見て歩いた。すると廊下の先、特別病棟の扉の前に、誰かが立っているのが見えた。看護師ではない。患者でもなさそうだった。
近づいてみると、それはどこか翳りのある女の人だった。
薄い紺色のカーディガンを羽織って、猫のように背中を丸めて立っている。背中の辺りで緩やかに束ねた髪は乱れ、後れ毛が何本も顔にかかっていたが、直す様子はなかった。足元は靴下も履かずにサンダルのまま。なんとなく、そこだけ時間が止まってしまったような、妙な寂しさを感じた。
「どうしました?」
声をかけたが返事はなかった。
「なにか手伝いましょうか?」
彼女の顔を覗き込んでぞっとした。
私よりもずっと年上だろう。化粧はしていたが、数日前にした化粧がそのまま固まったような化粧だった。涙のあとがはっきりと残っている。拭いた様子もない。顔色が悪く、目は虚ろで、口元は力なく開いたまま、目の前の扉をまっすぐに見つめていた。まさに放心状態、心ここにあらずといった様子だ。
「大丈夫ですか?」
何回か話しかけたが、彼女はまるで私に気付いていないかのように突っ立ったままだった。
するとその時だった。遠くからコツコツと足音が近づいてきた。
振り返ると、薄暗い廊下を早足でこちらに向かってくる女性が見えた。グレーのパンツスーツに白衣。背は私よりも低く、少しぽっちゃりしていた。ふわっとカールした黒髪、口元を覆うマスク。黒縁の眼鏡をかけていて、その奥に切れ長の細い目が覗いていた。
彼女は扉の前までやってくると、私を見てから何も言わずに女性に話しかけた。
「田崎さん、お待たせしました。どうぞお入りください」
そう言って、扉のセキュリティを開錠する。
その胸元には名札が留められ、そこに『小児科・新生児科 医師 笠原友紀』とあった。
新生児科の医師? 特別病棟にアクセス権のある医師なんて滅多に会うことはない。
私は驚いたまま、彼女が女性の背中を押して病棟内に入っていく様子を眺めていた。そうしたら、彼女が私に振り返って言った。
「何か御用ですか?」
彼女は私の名札をちらっと見て、それから私の顔を見た。
冷たい氷のような目だった。まるで部外者は立ち去れとでも言いたげな厳しい目だ。
「あ、いえ……」
私は小さく頭を下げて、診療情報管理室に向かった。
扉の前に立っていた女性は、どうやら『症例一番』の母親だったらしいと分かったのは、それからだいぶ経ってからのことだ。
五月に入ると、GMC内でも症例一番の話題で持ちきりになった。
ロッカールームでも、トイレでも、ダイニングホールでも、どこに行っても誰かしらが話していた。
「遺伝子治療を受けた赤ちゃんだったらしい」
「神の怒りに触れたんだ、天罰だよ」
「日本じゃ治療できないらしいよ」
「富田先生が海外に連れて行くって」
「富田先生なら、治療ってより実験じゃないの?」
「七階の富田研でしょ? 百坂さんも知らされてなかったみたいよ」
「ただの不妊治療かと思ったら違法行為に加担させられてたとか、最悪じゃん」
「確証はないからね。センター長がもみ消すんじゃない?」
そういう話を聞いて、私は何か大変なことが起きているのではないかと不安になった。機器の故障やデータ消失の比ではない。もっと深刻で重大なことだ。もちろん、噂は噂だ。噂に信憑性はない。でも何もないところから富田先生の名前が出てくるなんてことはない。
私は先生にメールを書いた。私が耳にしたことを整理して、それとなく何が起きているのかを聞いてみた。でもメールは返ってこなかった。それどころか、その週の進捗ミーティングに先生は顔を出さなかった。先生だけではない。木田さんや指原さんもだ。その翌週も、ミーティング参加者は私と野坂さんと宮下くんだけで、皆で話し合った結果、先生たちが戻るまで延期にしようと決めた。
研究室に行っても、三人の姿はなかった。まるで夢でも見ていたかのように、指原さんと木田さんの机周りは綺麗に片付いていた。野坂さんは「皆どうしちゃったんだろうね」なんて笑っていたが、私は、先生がなにか重大な事件に巻き込まれてしまったのではないかと不安だった。
そうこうしているうちに、富田先生からメールが来た。でも内容は私への返信ではなく、余剰胚を使ったゲノム修復プロジェクトの中止を知らせるものだった。突然の、それも一方的な通告だ。深夜に送られた事務的な一文。労いの言葉も署名もない。
私は唖然とした。あんなに熱を込めて始めたプロジェクトなのに、こんなにあっさりと中止にしてしまうんだと思ったし、あまりのそっけなさに少し悲しくもあった。
それから少しして、先生がGMCに出勤していないという噂を聞いた。先生は大学の業務を優先しているのか、十二階にある自分の執務室にも姿を見せていないようで、私はこれからこの研究室はどうなってしまうのだろうと心配だった。というのも、プロジェクトが中止になって、指原さんと木田さんは通常の病院業務に戻ってしまったからだ。宮下くんは大学院生だったこともあってチームから外れ、残ったのは私と野坂さんだけだった。実質的なチームの解散だ。
地味で何でもない日常が過ぎていった。実用化のあてもない基礎データの積み上げだった。その間、
「なんであんな女が主任なの?」
「富田先生のお気に入りでしょ?」
「プロジェクトが頓挫した原因は彼女なのでは?」
直接言われたわけではないが、そうした噂は私の耳にも届いていた。でも私は意識的に考えないようにしていた。考えれば、きっと知らなくていいことまで知ってしまう。いや正直に言えば、この時点で、なんとなく分かってはいた。
皆が症例番号で呼んでいた。
おそらくは普通の子ではなかった。
そして突然、富田先生がいなくなった。
点と点を線でつなげば、私もその中にいることは明白だった。
それでも私は、私には関係ないと自分に言い聞かせ、目の前の業務に集中してやり過ごしていた。